IVAN(アイヴァン)は日本のファッションモデル、タレント。メキシコ出身。
IVAN(アイヴァン、1984年2月9日 - )はエヌウィード所属の日本のファッションモデル、ミュージシャン、タレント。本名はLiera Manuel Ivan(リエラ マヌエル アイヴァン)。父が日本人とスペイン人のハーフ、実母がメキシコ人のクォーター。メキシコ出身。2013年11月21日、映画『ウォールフラワー』の公開記念イベントで日本名が「笠原明(カサハラアキラ)」であることを公開した[1]。
趣味はアクセサリー作り、友達作り。特技は英語、スペイン語、ナチュラルフードコーディネート、カラーコーディネート。
メキシコ生まれ。2歳の時に奈良へ移住。1998年に沖縄アクターズスクール東京地区第1期生に選ばれ約1年間、歌やダンスのレッスンを受ける。その後渡米しカリフォルニア州の高校に進学。卒業後帰国し、モデル活動を始める。2004年にはパリコレのモデルに選ばれ世界のトップモデルとしても活躍。2007年からPENICILLINのヴォーカリストであるHAKUEIの全面プロデュースによる音楽活動も始める。しかしその後は、音楽活動の方向性の違いや金銭トラブルなどにより旧所属事務所の寮を飛び出して突然失踪、一時はホームレスも経験した[2]。
2013年9月28日放送の『有吉大反省会』(日本テレビ系)に初出演した際に、自ら「オネエ」であることを告白[2]。以降、トランスジェンダータレントとして活動している。
2017年4月12日、激しい腹痛を訴えて病院に救急搬送され、搬送先の病院で急性腹膜炎と診断されて入院したことを自身のブログで明かした[3]。
主な出演[編集]
テレビドラマ[編集]
SHARK?2nd Season?(2014年4月19日 - 、日本テレビ系) - サマンサ 役
レンタルの恋(2017年2月9日、TBS)
バラエティ[編集]
サウンドキッズ(2007年8月、テレビ熊本)
INDIES HOT LINE(2007年8月、スカイパーフェクTV!267ch)
パロパロmini(2007年9月、テレビユー福島)
FreePass?音楽専科?(2007年9月、テレビせとうち)
有吉反省会(2013年9月28日 - 、日本テレビ系) - レギュラー反省人
UTAGE!(2014年4月21日 - 、TBS)
痛快!明石家電視台(2015年9月 - 、毎日放送) - 不定期出演
くりぃむクイズ ミラクル9(テレビ朝日) - 不定期出演
CM[編集]
奈良電力株式会社(山本商事)(2015年12月1日 - 、奈良テレビ)
BOAT RACE振興会「ダイナマイトボートレース」(2016年11月1日 - )
舞台[編集]
ミュージカル『RENT』(2015年9月8日 - 10月9日、シアタークリエ) - エンジェル 役
引用 : https://ja.wikipedia.org/wiki/IVAN
IVAN 画像 : https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=IVAN&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa





クリス 松村(クリス まつむら )は、日本のタレント、オランダ・ハーグ出身。
クリス 松村(クリス まつむら、Chris Matsumura、10月2日 - )は、日本のタレント、フィットネスインストラクター。オランダ・ハーグ出身。アヴィラ所属。青山と誕生日が一緒。
外交官の長男として、オランダのハーグに生まれる。5歳の時に帰国し、学習院初等科に入学後イギリスへ。その後もアメリカ、カナダ、ブラジル、メキシコ、フランス、オーストリア、ポルトガル、エジプト、ギリシャなどで生活を経験している[1][2]。
10代の頃は芸能界入りを目指し、多数のオーディションを受けたりしていた(松田聖子の相手役、息っ子クラブ等)。詳しい時期は明かしていないが、かつて両親に内緒で芸能事務所に入り、NHK大河ドラマ『獅子の時代』などにエキストラで出演した経験がある。しかし芽が出ず、大学卒業後は広告代理店に就職する[3]。就職後は暴食により85kgまで太ってしまうが、スポーツクラブに通い、エアロビクスとダンスにより3か月で30kgのダイエットに成功する。広告代理店退社後は俳優上原謙のマネージャーを経験したのち[4]、インストラクターに転身。自身が大ファンであるピンク・レディーの曲の振りをフィットネスに取り入れた、「ピンク・レディー・エクササイズ」が盛況だったという[5]。2005年、日本テレビ系のバラエティ番組『三宅裕司のドシロウト』に、ピンク・レディーの追っかけ集団「キラキラ隊」の一員として出演すると[5]、いわゆる「おネエ」キャラクターが話題となる。その後、芸能事務所アバンギャルドへの所属が決まり、本格的にタレント活動を開始した。
フジテレビ系のクイズバラエティ番組『クイズ!ヘキサゴンII』では、司会の島田紳助から「ラクダ」というあだ名を付けられて頻繁にいじられるようになり、以降、常連出演者(ヘキサゴンファミリー)となる。同じく「カッパ」というあだ名で呼ばれていたアンガールズの山根良顕と、番組内ユニット「ラクダとカッパ」を結成。この他にも、「南明奈のスーパーマイルドセブン」や「矢口真里とストローハット」などの番組内ユニットに参加した。
フジテレビの音楽番組『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』で2009年4月からスタートしたコーナー「今聴きたい名曲HEY!HEY!HEY!」のパネラーとしてほぼ毎週出演し、後に「ハートにヒット」などの懐メロコーナーを担当。司会のダウンタウン以外では唯一のレギュラー(出演しない週もあった)として出演していた。
人物[編集]
ゲイであることを公表している[6]。
父親と確執があり、20年近く会っていない。「父が死んでも葬式には行かない。親子とか血を分けたという言葉には騙されない」と述べている[1]。
邦楽、洋楽問わず音楽好きで、レコードやCD、DVDなど2万枚以上を所有。好みのジャンルはニュー・ミュージック、AOR、ディスコ、フュージョン、アダルト・コンテンポラリーなどである。ニュー・ミュージックの中で無名の歌手や、忘れ去られた歌手なども幅広取り上げている。公式ブログでも所蔵するレコードやCDを話題に取り上げ、曲にまつわる思い出や歌手のエピソードなどを綴っている。音楽知識をもとに、解説や評論も行うほか[2][7]、オリビア・ニュートン=ジョンなどのCDのライナーノーツも手がけている[8]。音楽のダウンロード販売には否定的である[9][10]。
ラジオで「バイシクル・レース」を聴いてクイーンが好きになり、すぐさまシングルを買おうとレコード店へ向かったが、ジャケットに写った女性の裸に恥ずかしくなり(もとより女性に興味がなかった)、代わりにアルバム『ジャズ』を購入している[11]。
山下達郎の熱烈なファンで、最も思い入れのある曲は「愛を描いて」「希望という名の光」[12][13]。2013年に行われた山下のコンサートツアーで販売されたパンフレットでは、山下のアルバム『MELODIES』を題材に対談を行っている[2]。
航空機ファンとしても知られ、航空コレクションの披露、航空会社の機内音楽などを担当することもある。また自動車の免許は持っていないと語っている。
主張[編集]
情報技術の進歩による社会の変化に対して否定的な考えを持っており、インターネット上で個人情報の保護が重視されていることを問題視しているほか、ソーシャルメディアやクラウドコンピューティングなどの「ネットの副作用」により若者の想像力やコミュニケーション能力が無くなってきていると主張している[14][15][16]。
ブラック企業による若者や外国人技能実習生の「使い捨て」問題などについては「私は高校時代から無職だったことが一度も無く、時給が420円だろうと、睡眠時間が2時間で残業代なしだろうと、全く気になったこともありません」[17]「私の時代なんて時給420円だったのに、時給が1,000円以上という好条件でも、日本人(求人に)応募さえしない。どおりで、仕事帰りのコンビニに行くと外国人スタッフばかりなわけです。外国人の方にとっては、金額的なことだけを見れば、素晴らしい労働条件ですからね」[18]と述べている。
2014年5月に発生したAKB48握手会傷害事件後、公式ブログで「働くことは国民の義務のはず」「大体、人を傷つけられるということは健康なわけですから、(犯人の男が)無職ということ自体おかしい」「こうした事件を起こすほぼ100%が無職です」[19]などと厳しく非難した。また、「政府は、これから“無職者を無くそう!”というキャンペーンでも打ち出して、実行するべき時です。2020年の東京オリンピックに向けて、急務な課題だと思われます。“美しい国、日本”として」などの持論を展開した[19][20]が、このエントリーの直後にブログを更新し、「決して無職の方を非難したわけではございません。やむなく現在は無職という方々も多くいらっしゃることは存じておりますが、働かないことで心が病んでしまってはいけない…という内容の文面でした」と釈明している[21]。
引用 : https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E6%9D%BE%E6%9D%91
クリス 松村 画像 : https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E6%9D%BE%E6%9D%91&aq=0&oq=%E3%81%8F%E3%82%8A%E3%81%99%E3%81%BE%E3%81%A4&at=s&ai=BYD2lofVQwuRvToGcYAmbA&ts=12918&ei=UTF-8





ナジャ・グランディーバは、日本の女装家。タレント。ドラァグクイーン。
ナジャ・グランディーバ(1974年(昭和49年)4月10日 - )は、日本の女装家。タレント。ドラァグクイーン[1]。太田プロダクション所属。
女装家となったきっかけは、大学受験のために移住した大阪で、夜遊び向けのファッションに夢中となったからとされる[2]。現在は大阪市北区兎我野町にあるゲイバー「do with cafe」で働いている他、関西を中心にドラァグクイーンとして活動している[3]。
2002年以降、浜崎あゆみやDREAMS COME TRUEのミュージック・ビデオに多数出演[2]。2011年に『ハピくるっ!』(関西テレビ)のレギュラーへ起用されたことを機に、在阪他局が制作するテレビ・ラジオ番組にも出演するようになった。また、2014年から太田プロダクションに所属したことを機に東京へ進出[2]。ただし、本名・出身地・女装前の素顔を明かしていない。
出演[編集]
テレビ番組[編集]
レギュラー番組[編集]
バラいろダンディ(TOKYO MX)
有吉弘行のダレトク!?(関西テレビ) - 準レギュラー
クロ女子白書(福岡放送) - 準レギュラー
ちちんぷいぷい(MBSテレビ)- 準レギュラー
過去のレギュラー番組[編集]
ハピくるっ!(関西テレビ)
ラジオ番組[編集]
武田和歌子のぴたっと。(ABCラジオ) 2013年10月から2016年9月までは、月曜日のコーナー「ナジャの悩み相談」にのみ出演していた。2016年10月から12月までは、火曜日第2部の「ナジャの言わせてちょ~だい!」にのみ登場。2017年1月からは、火曜日の全編でパートナーを務める。
ナジャとアナの虹色レインボー(MBSラジオ) 2016年度のナイターオフ期間に「スマラジw」の金曜枠として始まった生放送番組で、パーソナリティを担当。主に毎日放送のアナウンサーが、週替わりでパートナーを務めた。2017年度のナイターイン期間にも、『ナジャ・グランディーバのレツゴーサンデー』という単独番組として、月1回のペースで土曜日の18:00 - 21:00に不定期で生放送。
インターネット配信[編集]
AbemaWaveサタデーナイト(AbemaTV)
舞台[編集]
リプシンカ?ヒールをはいた!?男たち?(2009年・2011年)
ミュージックビデオ[編集]
浜崎あゆみ「Real me」(2002年)
DREAMS COME TRUE「マスカラまつげ」(2004年)
AZU「CHERISH」(2007年)
浜崎あゆみ「Lady Dynamite」(2010年)
引用 : https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%90
ナジャ・グランディーバ 画像 : https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E3%83%8A%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%90&aq=0&oq=%E3%81%AA%E3%81%98%E3%82%83&at=s&ai=jjdUpFCLRVGJQFkzVFSHuA&ts=5064&ei=UTF-8





カルーセル 麻紀(カルーセル まき)は、日本のニューハーフタレント。
カルーセル 麻紀(カルーセル まき、Carrousel, Maki、1942年[2]11月26日 - )は、日本のニューハーフタレント。本名:平原 麻紀(ひらはら まき)、旧名および出生名:平原 徹男(ひらはら てつお)。所属芸能事務所は、オフィスカルーゼル。
元男性であることをネタにした痛快なトークが売りで、お笑い芸人の演芸と歌謡ショーを組み合わせたステージを繰り広げる。また、芸能界を始め、各界に友人、親友が数多く幅広い人脈を持つことでも知られる。
1942年(昭和17年)[2]、北海道釧路市で厳格な父親の二男として生まれる。「(太平洋戦争で)アメリカやイギリスなどの敵国と『徹底的に戦う男』となるよう」との願いから、「徹男(てつお)」と命名された。しかしながら、幼少時から女性的趣味嗜好を持っていた。弟がおり、弟は「徹男に次ぐように」という願いを込めて次男(つぐお)と命名されたとの事。
ゲイバーへ[編集]
釧路北中学校出身、北海道釧路北陽高等学校中退。父親への反目から15歳で家出し、札幌市のゲイバーに勤務。その後は、青森県弘前市のショーパブ勤務を経て、大阪の『カルーゼル』という店に勤めたが、この際に用いた源氏名が『麻紀』であった。また、作家の山口洋子が経営していた東京・銀座のクラブ 『姫』に在籍していたこともある。
札幌市のゲイバーに勤務していた19歳のときに去勢手術を受けた。その後、1973年(昭和48年)にはモロッコに渡り、性転換手術を受けた[3]。手術後には40度以上の高熱が続き死にかけたと本人が語っている。体調が戻ってからはパリへ渡り休養しながら友人のバーを手伝うなどして一年ほど芸能活動を休業していた。左足の太腿に薔薇の刺青を入れている。
芸能界へ[編集]
25歳のとき、楽曲『愛して横浜』で歌手デビュー[3]。日劇ミュージックホールに出演する際に「麻紀」だけでは短すぎると言われ、勤めていた店の名前から「カルーセル」を頭に付けたのが現在の芸名となった。名付け親は放送作家の新野新である。
2001年(平成13年)9月、大麻とコカインを自宅に隠し持っていたとして、大麻取締法、及び麻薬及び向精神薬取締法違反の容疑で逮捕された。容疑は何れも不起訴となったものの、拘留中の留置場では戸籍上の理由で男子房に入れられていた[3]。また、普段はTバックの下着を愛用していたが、留置場内では男性として扱うため下着は男性物の着用しか認められなかったためトランクスをはいていたと、後日の会見で話している。
2002年(平成14年)、半生を綴った自伝『私を脱がせて』(ぶんか社)を出版した。
2006年12月8日には自宅が空き巣被害にあい、腕時計などの宝飾品約800万円相当や現金約10万円、外国紙幣約320万円相当を盗まれている。被害直後に自宅でインタビューに応じている。
2014年5月28日に『徹子の部屋』出演時に、2011年に閉塞性動脈硬化症を患い右足の切断の危険もあったことを番組内で告白した。幸いなことに手術も無事に成功したが、翌年の2012年には左足が同じ病気になってしまい再び手術を行ったと語っている。
現在もテレビやラジオを中心に幅広く活躍している。
女性へ[編集]
2004年(平成16年)10月の性同一性障害者特例法施行を受けて性別の変更が認められて戸籍上も女性(続柄は二女)となり、本名も「平原麻紀」と改名した。変更の理由は『戸籍変更ができるまでに年はだいぶ取ってしまったが、性同一性障害でずっと悩んでいる若い子たちの為にも、私のように世間に名が知れている者が申請して認められて突破口になれたらいいなと前々から思っていたから。』などと語っている。親類の子供たちからは、「おじちゃんだったおばちゃん」と呼ばれていたという[4]。本人はいまだに元男性であることをネタにしており、「怒るとオッサンになる」、「男に徹すると書いて徹男なのに、女になってしまった」などと、しばしば語る。
趣味[編集]
プロ野球、北海道日本ハムファイターズのファンであり、特にダルビッシュ有投手の大ファンである。
年に一度はヨーロッパ各国へ休暇を取って旅行へ行くほどヨーロッパ好きで有名である。自宅内にもヨーロッパのアンティークな家具、装飾品などが多数あり、自宅紹介時には公開している。プライベートでも親交の深い黒柳徹子と一緒にヨーロッパ旅行へ出かけたこともある。豪華なドレスなどの舞台衣装や高級ブランドのバックや靴、洋服、毛皮等を多数所有していて自宅に収まりきらなくなり自宅の近所にクローゼット代わりに家を一軒購入したとTV番組で視聴者に紹介した。
交友関係[編集]
芸能界でも友人、親友は多いが、石原裕次郎は麻紀を本物の女性として接していて実妹のようにたいへん可愛がられていたそうで、石原まき子も公認で普段から飲食や遊びに連れて行ってもらったり温泉も一緒に入ったりなどしていたという[5]。石原は本来兄である慎太郎同様に同性愛者を嫌っており、麻紀のようなケースは非常に珍しかった。
太地喜和子とは数多い友人の中でも特に親交が深くて大親友であった。2011年4月19日放送の『徹子の部屋』のゲスト出演時には太地の形見である帯と帯締を着けて着物姿で登場した。『徹子の部屋』には番組開始から現在まで定期的に出演している。
関口宏とは互いの芸能界デビューが同時期で当時から交流があり『宏』、『麻紀』と呼びあっていて仲良しだと『関口宏の東京フレンドパークII』出演時に語っている。
デヴィ夫人や美川憲一、あき竹城とはプライベートでも親交の深い旧友である。大黒摩季も友人の一人である。
オリックスのシニア・ディレクターを務めた中村勝広と旧知の間柄であったことが縁で、2008年(平成20年)3月1日、オリックス・バファローズ対阪神タイガースのオープン戦で始球式を行なった。
オネエ系タレントのパイオニアでもあり、後輩たちから慕われているが特にニューハーフタレントの後輩はるな愛をプライベートでも可愛がっている。愛は、麻紀の誕生日パーティーに招待された際、当時多忙だった愛がうっかり行くのを忘れてしまい、麻紀に男口調で激怒されたと語っている。また2011年2月6日放送の「クイズ☆タレント名鑑」のコーナー「芸能人!このオファー引き受けた?引き受けなかった?クイズ」で「カルーセル麻紀のエアあやや」のオファーを承諾し披露しているが、引き受けた理由は愛に見てもらいたかったとの事。タレントでもあり京都祇園カルシウムハウスの梶浦梶子ママからは師匠と呼ばれ慕われており可愛がっている。
引用 : https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%83%AB%E9%BA%BB%E7%B4%80
カルーセル 麻紀 : https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%83%AB%E9%BA%BB%E7%B4%80&aq=0&oq=%E3%81%8B%E3%82%8B%E3%83%BC%E3%81%9B%E3%82%8B&at=s&ai=7Ht_WJjqSx6s7mZfXbxWCA&ts=7286&ei=UTF-8





IKKO(イッコウ)は、日本のヘアメイクアーティスト、タレント、書家である
IKKO(イッコウ、1962年1月20日 - )は、日本のヘアメイクアーティスト、ビューティーディレクション、タレント、書家である。美容家になる前はヘアメイクアーティストとして活動していた。
「IKKO」は本名の音読み「いっこう」に由来する。
雅冬炎(みやび とうえん)の名前で書家としても活動している。
福岡県田川郡福智町(旧方城町)出身。福岡県立西田川高等学校を経て、北九州美容専門学院(現福岡美容専門学校 北九州校)卒業。
高級美容室「髪結処 サワイイ」で8年間美容師としての修行を経て、ヘアメイクアップアーティストを目指して独立。1992年に30代で「アトリエIKKO」を設立・主宰し、雑誌の表紙をはじめ、テレビCM、舞台等でヘアメイクとして活動。特に和装ヘアメイクを通じ多くの女優の支持を受け、IKKO流「女優メイク」を確立する。また、司会者でフリーになった直後の逸見政孝の専属ヘアメイクを務める。逸見が亡くなった際の死化粧も行った。月命日には欠かさず花を贈るなど、現在でも逸見の家族とは親交がある[1]。女性誌の表紙・ファッションページや、テレビ・CM・舞台・バラエティに出演するほか、トークショーも行う。
常に数誌の女性誌の連載を抱えており、現在は『non-no』、『MORE』、『美人百花』など。ディナーショー、トークショーではメイクデモンストレーションを行うなどして、本業美容家としての活動をしながら、自身の持ち歌や山本リンダの「どうにもとまらない」を歌うなど、エンターテイナーとしての顔も持っている。2009年には全国30ヶ所ツアーも開催された。
2006年7月10日、全国各地で行われている美容&ファッション&エンターテインメントの集大成的イベント、初の「IKKO WORLD」が地元福岡のホテルニューオータニ博多で開催される。進行、音響照明、舞台、出演モデルオーディションなどすべて自身で手掛け、モデル10名の衣装、メイクもすべて自身のプロデュース。昼夜あわせて1,800名の動員数であった。
同年7月には初エッセイ『超オンナ磨き?美のカリスマIKKOの幸せを呼ぶゴールデンルール』を出版し、「コンプレックスこそオンナ磨きの原点」として、自分の体験から得た誰でもすぐできる実践的なノウハウを伝授、「新・美のカリスマ」と呼ばれる。世界文化社から出版された、『IKKO 女の法則』、『IKKO キレイの魔法』の合計販売数は30万部を突破している。
韓国観光名誉広報大使の他、同国の化粧品会社「Etude House」のキャンペーンキャラクターも務める等、活躍の場を海外にまで広げている。また、2007年12月には『どんだけ?の法則』でavexより歌手デビュー。自身が紹介したBBクリーム、コロコロローラーが人気を博す。
2005年より、IKKOプロデュースの振袖ブランドを展開、販売が開始される。
2006年10月より始まった『おネエ★MANS』(日本テレビ)に出演。一般人にも解かり易くスキンケアやメイク指導をしたり、芸能人の変身を行うコーナーを主に担当。エマニュエルウンガロやグッチなどのハイブランドを身につけて出演。
2007年の流行語大賞にノミネートされた自身の「どんだけ?!」は現在も健在。関西にある大学の国文科の授業でとりあげられたり(2009年、2010年)、教材に掲載されたりした。
2009年、「ウルトラアゲアゲDancing」のPV撮影にあたって、インパクト絶大の女の子集団、Happy Girls結成。IKKOがPVを作るにあたって「みんなに幸せになってもらいたい」との想いから開催したオーディションには約10,000通の応募が寄せられ、その中からIKKO自ら面談し6人が厳選された。IKKO Happy Girlsとしてツアーにも出演。
2009年5月から9月まで行われた全国30箇所ツアーでは、本業であるメイクの部と、語り、エンターテイメントの歌、踊りの部があった。「メイクの部」では、モデルへのメイクアップと共に、客席の中から選んだ一般人へのメイクが行われた。「語り」では自身の半生を振り返り、「積もる雪」というテーマで語られた。30箇所全て同じ話ではなく、その時の観客を見て内容は変えられていた。「エンターテイメント」は、自身の持ち歌「どんだけ?!の法則」や「ウルトラアゲアゲDancing」などがダンスと共に披露された。その模様は、『今日感テレビ(RKB毎日放送)』や、『カウントダウン・ドキュメント 秒ヨミ!(中京テレビ、日本テレビ)』でも放映された。
2009年夏には、大塚製薬主催の「ポカリスエット みんなの全力応援CP」[2] のIKKO賞の講師として、全国6ヶ所をメイク指導に訪れた。2009年8月、「IKKOの女アゲアゲツア?!」(goomo)というwebサイト上の番組が配信された。
世界文化社から出版された『IKKO女の法則』『IKKOキレイの魔法』両著書が併せて30万部を突破した記念として、2009年8月にBEST HIT賞を受賞する。記念品として、IKKOをイメージしたという妖精をモチーフにした、ラリックのグリザリードというクリスタルのオーナメントが贈られる。お祝いとして各3千部限定で、金帯のつけられた両著書も店頭に並んだ。
2009年9月、著書『IKKOのキレイを磨くin韓国』が、ガイドブックとしては異例の販売15ヶ月で6万部を突破した。達筆で、著作や連載誌には自筆で格言を載せる。2009年9月2日から9月7日まで名古屋栄三越デパートで行われた「IKKO WORLD 美の扉」でも書のみのブースが存在した。また、自身がキャラクターを務めたSchick Quattro4 for womenの商品やロッテレモビタのど飴の包装ひとつひとつにIKKO格言がついている。2009年格言付きカレンダーも発売した。
韓国観光名誉広報大使の任命、ソウル観光大賞受賞や、ETUDE HOUSEのプロデュースに携わるなど、韓国コスメを日本に広め、日韓交流の橋渡しをした民間外交官としての活躍が認められた。2009年ソウルにSTAR AVENUE LOTTE TOWNがオープンすると、並み居る韓流スターと肩を並べ、STAR AVENUEに単独ブースIKKOメイクルームが出来たり、等身大のパネルの展示や手型が飾られている。2009年10月には、韓国ETUDE HOUSE店内に、「ドリーミングハウス」というIKKOの軽井沢の別荘をイメージしたミニチュアハウスも完成。
2009年10月1日より開局したDATVのオープニングセレモニーに、2009年10月8日には釜山で行われたアジア最大級の映画の祭典、国際映画祭のオープニングセレモニーに出席。また、2009年10月より2010年3月まで、『IKKO’SセキララTV』という自身の単独番組が放映された。
2010年3月19日に福岡パルコ4階に「Pink by IKKO」というセレクトショップをオープン。一部商品を使ってのデモンストレーションがあり、IKKO本人が来店することもある。この店の制服には、IKKOが幼い頃より憧れていた日本航空(JAL)の制服の一部を改良したスチュワーデス姿が採用されている。
2010年4月28日 「GORGEOUS」という香水をプロデュースし発表する。キャッチフレーズは「忘れられない、離れられない。」。地域限定ではあるがCMも放送された。
2010年5月からはトヨタ・パッソのwebサイト上の「ハナ女子大」にて講義を開講。乙女達の悩み解決のために特別講師として出演。
本業のみならずモデルにも挑戦。2007年「神戸コレクション」にオオトリとして出演。2009年「神戸コレクションプリュス」「福岡アジアコレクション」に出演。「神戸コレクションin神戸」の第2回目のシークレットゲストとして出演。2010年「GirlsAward」に出演。
2010年9月に表参道・青山で行われた「VOGUE」主催のFASHION'S NIGHT OUTのオープニングセレモニー内ファッションショーにてオオトリを務める。
2010年10月、自身の経験からも魅力的な自分であるために、『輝く瞳』推進委員会から「瞳の黄金比率」親善大使に任命される。
2011年11月、出身地である福岡県福智町より、観光大使に任命された[3]。
2012年、よかよかエアラインズのCAに抜擢され、就任した。同年7月31日羽田空港第一ターミナルでプロジェクトの発足記念式典が開催され、 九州各県の代表者、航空各社CA及び九州各地のゆるキャラと共に、自らデザインを手がけたCAの制服に身を包み、大規模な観光キャンペーンのキックオフを通じて空港利用者に地元九州の活性化を願い、アピールした。
2012年9月、福岡キャナルシティ博多に自らがプロデュースした「PEACH DOLL」という店をオープンした。店名「PEACH DOLL」の由来は、「まるでお人形さんのような透き通る桃色の肌」をイメージし、「永遠のGirlish」という2つのテーマに沿うようなモノをと、つけられたとのことである。
2012年10月11月には、NHKの『趣味DO楽』番組内の中で全8回に渡り広瀬香美より歌唱指導を受け、喉だけではなく身体全体で歌うことの大切さを学び、広瀬の母校である福岡女学院で最終お披露目を観客の前で行った。
2012年11月、自慢の書道の腕前を活かして『道 IKKOの字語りエッセイ』が芸術新聞社より発刊される。
2012年12月に行われた岡崎ニューグランドホテル、立川グランドホテルでのディナーショー時、久々に口上を述べた。
2013年1月、DFS沖縄新春トークショーが行われ、毎年DFSではIKKOをトークショーに招いている。空港免税店には、毎年ショー前になるとIKKOの大きなポスターが飾られる。
東北大震災後チャリティーコンサートを行ったのを機に、毎年地元福智町にて復興を願いボランティア活動を継続している。2013年2月2日、方城和太鼓の演奏とともに地元の炭坑節を歌った。
50歳になる年から、書道を本格的に教わるために書家の金敷駸房に師事。現在では、数々の書道展で賞を受賞するなど本格化している。
人物[編集]
毎日のウォーキングは日課。1日2回、1回あたり7.5Km程でトータル15Km程。余程のことがない限り休まない。「朝のウォーキングでは発想とエネルギーを貰い、夜は一日の反省」と発言。
「きものは心の宝」と表現する程のきもの好き。師と仰ぐ池田重子より手ほどきを受け、着物、長襦袢、半襟、帯から帯揚げ、帯留に至るまでこだわる。
宝飾品はダイヤモンドを好む。
料理の腕はプロ並みで、夕食をスタッフにふるまったりする。自身のwebサイト上やTV番組でも披露する手際の良さや、豊富なアイデア、味つけは評価が高い。その腕前を買われて番組内料理コーナーを担当したりゲストに呼ばれることも多い。
「美と健康のために」と、出来るだけ自炊をしている。手作りの弁当を持って仕事場へ出かけることもある。冷蔵庫内は時間のある時に刻んでおいた野菜等が整然とタッパーに入れて並べられている。
冷え性で、その対策のため湯たんぽやストールで躰を保護したり、根生姜を刻んだモノをバッグに入れて持ち歩き、食事の時に調理し食べている。
2009年に行われた全国30箇所ツアー時には、会場の至る場所に手書きの書を貼った。自身のwebサイトでも全ての公演に対してお礼の自筆の書を発表した。
越路吹雪、杉村春子を敬愛している。越路の写真をお守りのようにいつも楽屋に飾っている。杉村の話は「語り」によくでてくる。
愛犬家。現在は2匹の犬を飼っている。
口癖は「どんだけ??」である。流行語となり若者の間でも使われていた。「どんだけ??」はIKKOの口癖が起源であると思われがちだが、芸能人で最初に使い始めたのはFUJIWARAの藤本敏史で、藤本がバラエティ番組(TBS『リンカーン』)の仕事で行ったゲイバーでその店のママ、ヤス子が使っていた口癖にまず藤本が食いつき面白がって使っていたのをIKKOも使い始め、使用する局面を徐々に拡大&変化させたものである。また、IKKOが手を前に出し人差し指を横に振る動作であるのに対し、元祖であるヤス子ママの動きは下から上に腕を振り上げる動作である。以上により、今日確認できる史料では、「どんだけ??」の生みの親は、新宿2丁目のゲイバー「プラチナ」の「やすこママ」であると定義されている。そのためか流行語大賞に選ばれた時にはIKKO本人の口から「このギャグは自分がつくったものではない」と公表している。また「まぼろし?!」や「おごと?!」もよくつぶやく。「まぼろし?!」は、主に現実だと思われたくないコトを言われた時に「それは、まぼろしなのよ!」という意味合いで用い、「おごと?!」は、元々は福岡の方言で、「おおごと」「大変」「凄い」などの、スペシャルな、最上級の意味を表す。
2009年6月4日に、観光活性化に寄与したとして、韓国のソウル市から「2009ソウル観光大賞」を贈られた[4]。
2009年2月27日、韓国の魅力を韓国外へ拡め、また今後も文化体験や広報を同時に行い、益々の発展に貢献してほしいとして、韓国観光名誉広報大使に任命された。
2008年5月、韓国の旅行案内書「IKKOのキレイを磨くin韓国」(文藝春秋)を出版。韓国の観光地や食べ物、ショッピング、美容等を日本に紹介した。
女性誌では、IKKOが紹介、案内する韓国観光ガイドが別冊付録につけられたり、特集頁として組まれることがある。(MISS、美人百花)
韓流好き。きっかけは『冬のソナタ』。以後『私の名前はキム・サムスン』や『エデンの東』など多くの韓国ドラマを見続けている。
カラオケの十八番は「どうにもとまらない」(山本リンダ)、「愛の讃歌」(越路吹雪)、「お富さん」(春日八郎)、「旅の夜風」(霧島昇)、「蘇州夜曲」(渡邉はま子、李香蘭)、「あゝモンテンルパの夜は明けて」(渡邉はま子)などがある。
引用 : https://ja.wikipedia.org/wiki/IKKO
IKKO 画像 : https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=IKKO&aq=1&oq=%E3%81%84%E3%81%A3%E3%81%93%E3%83%BC&at=s&ai=jcTOdXi5Qcm9ubutkdKL0A&ts=6464&ei=UTF-8




