陣内 智則(じんない とものり )は、日本の男性お笑い芸人、タレント、俳優、および司会者。
陣内 智則(じんない とものり、1974年2月22日 - )は、日本の男性お笑い芸人、タレント、俳優、および司会者。本名同じ[2]。
兵庫県加古川市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー東京本社所属。
加古川市立別府中学校、兵庫県立高砂南高等学校卒業。吉本総合芸能学院 (NSC) 大阪校11期生。同期にはケンドーコバヤシ、たむらけんじ、中川家、藤井隆、海原やすよ・ともこ、ハリガネロック、堂土貴(ルート33)、吉本新喜劇の烏川耕一、たいぞうなどがいる。
あだ名は主に、先輩は「陣」後輩は「陣さん」同期以上の女性は「陣くん」(例外有り)。他は「陣ちゃん」など。『なるトモ!』(読売テレビ制作)では三浦隆志(読売テレビアナウンサー)から「陣様」とも呼ばれていた[3]。
私生活では、ドラマの共演が縁で知り合った藤原紀香と2007年2月に結婚。同年5月に行った豪華結婚披露宴が話題を集めたが、2009年3月に離婚。
陣内の姪(めい)の宮脇舞依は、KRD8という姫路のご当地アイドルのメンバーとして芸能デビューしている(母親が陣内の実姉)[4][5][6]。
芸風[編集]
一人コント形式で舞台装置を用い、エキストラ(本人の場合もあれば、町で偶然スカウトした外国人[7]の場合もある)に演じさせたり、CGで制作した映像等の音声や映像に対してツッコミを入れるという独特なスタイルをもつ(バッティングセンター、校歌など)。多くのネタは「小ボケを何分にも積み重ねることによって、やがて大きな笑いにする」というものなので、1分ネタしかできない爆笑レッドカーペットには出演したことがない。
映像の多くは同期の原田専門家がパソコンを主に使って作成している[8]。
ネタ、相方について[編集]
ネタの多くは元ピン芸人の現在放送作家で活躍するくらなりとの共同作成で行っている。また元ピン芸人で現グラフィックデザイナーの原田専門家(同じくNSC11期生)が裏の相方として、ネタ画面のCGや仕掛け製作を手伝っている[9]。共に作った映像や音声を駆使したネタにツッコミを入れるという、ピン芸人として今までにないスタイルを確立した。また、ネタで流れる女性の声は元バスガイドでうめだ花月(現在廃止)のスタッフだった吉本興業の女性社員であるが、五十嵐サキが起用されることもある。
「リミテッド」解散後、ピン芸人として活動。2001年頃からテレビ番組、ラジオ番組、営業などで、正式なコンビではないが同期のケンドーコバヤシとのセットでの出演が多く(陣コバと呼ばれる)、周囲もコンビと見紛うほどだった。お互いに全国区で売れ始めた頃から減り始めたが、現在でも共演は多くその頃から続いているレギュラー番組もある。たむらけんじとも一時的に「たむ陣」と称するコンビを組んでいた。
経歴[編集]
NSC入学から「リミテッド」時代(1992年-1995年)[編集]
高校の同級生・西口圭と一緒にNSC大阪校の11期生として入学。2人で「リミテッド」と称するコンビを結成した。このコンビ名は陣内が「限界」という意味の「リミット (Limit)」と間違って名付けたものである。「リミテッド (Limited)」は「制限された」「僅かな」という意味の言葉であるが、本人は指摘されるまでこの勘違いに気付かなかった。「リミテッド」としての初仕事は、その当時WコージーがMBSラジオでやっていた番組の素人参加のコーナーだった。高校生の時にも『ピート・ローズ』というコンビ名で出演し賞金を稼いでいた。
「NSCアマチュア大賞」の秋開催のグランプリを獲得。これが、リミテッド時代に獲得した唯一の賞となる[10]。
陣内は同級生と一緒にNSC入学と同時に寿司屋『小鯛雀鮨鮨萬[11]』に就職しており[12]、職人達の中での厳しい仕事だったため同級生はすぐに辞めたが陣内は卒業までの一年間、早朝から皿洗いや料理の下ごしらえなどをしていた。
NSC卒業後、心斎橋筋2丁目劇場を中心に活動をスタートさせる。しかし当時のリミテッドは評判が芳しくなく、「2丁目ブーム」の中リミテッドは「2丁目で一番おもんないコンビ」「見ると不幸になる」などと揶揄されていた。結果、結成3年後の1995年9月に解散。相方の西口は芸能界から引退したため、陣内自身はピン芸人への転向を余儀なくされた。
リミテッドの評判が悪く、「見たら不幸になるコンビ」という評判も立ってしまっていた[8]。実際当時はネタ番組で1分だけの出演にも関わらず出番になった途端画面に台風情報が入ったり、一般参加型のフェリーツアーの追加メンバーにリミテッドの名前が出た途端台風でツアーが中止になるなど、不運ぶりも群を抜いていたという。そんな事があったため陣内自身もすっかり萎縮してしまっており、ライブの前説をする後輩に「今日来た方は残念でしたね。なんと、今から『リミテッド』が出ます!!」といじられても全く反応を返せなかった[13]。その後、後輩芸人の予定が合わなかったため、その代役としてテレビ番組に出演することになったが、出番は着ぐるみを着て舞台を通過するだけという屈辱的なものであった。陣内はそのことが悔しくて仕方なかったが、相方の西口が意欲の無い態度を示したため、その場で殴り合いの喧嘩になり、その最中に陣内は「もうコンビ解散しよう」と決意したという[14]。
引用 : https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%A3%E5%86%85%E6%99%BA%E5%89%87
陣内 智則 画像 : https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E9%99%A3%E5%86%85%E6%99%BA%E5%89%87&aq=0&oq=%E3%81%98%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%84&at=s&ai=UcojIbDISuOAzJKrjdNxMA&ts=15136&ei=UTF-8
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