藤浪 晋太郎は、大阪府堺市南区出身のプロ野球選手(投手)。
藤浪 晋太郎(ふじなみ しんたろう、1994年4月12日 - )は、大阪府堺市南区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。阪神タイガース所属。
プロ入り前[編集]
小学校1年生のころから野球を始め、堺市立宮山台中学校時代は「大阪泉北ボーイズ」に所属して投手を務め、球速は最速142km/hを記録していた。3年時にはAA世界野球選手権大会の日本代表に選出され世界大会に出場。小学校卒業時に180.2cm, 中学校卒業時で194cmの身長があった[2]。幼少時代は父と一緒に巨人の試合をテレビで見ていた影響で読売ジャイアンツ(巨人)ファンだった[3]。
中学卒業後、大阪桐蔭高校へ進学し、1年の夏からベンチ入り、2年春からエースとなった。1年後輩にあたる森友哉とバッテリーを組み、3年春のセンバツでは史上初の全5試合で150km/h以上を計測し優勝[4][5]。同年夏の甲子園では準決勝の明徳義塾戦を9回2安打無失点8奪三振、決勝の光星学院戦では9回2安打無失点、決勝史上最多タイの14奪三振、決勝史上最速となる153km/hを記録する2日連続の2安打完封投球で勝利し、史上7校目の春夏連覇を達成[6][7]。準決勝、決勝の連続完封は実に20年ぶりの快挙であった[8]。甲子園での通算成績は76回を投げて防御率1.07・90奪三振[9]。
秋には第25回AAA世界野球選手権大会の日本代表に選出され、2次ラウンドの3連投を含む計4試合で24回1/3を投げて防御率1.11の成績を残し、ベストナインに相当する「オールスターチーム」に選出された[10]。さらにこの大会での活躍などから、後に国際野球連盟の2012年18歳以下男子年間最優秀選手に選ばれた[11]。10月のぎふ清流国体でも仙台育英高校と同時優勝し、松坂大輔を擁した横浜高校以来となる史上3校目の「三冠」を達成した[12]。高校時代はダルビッシュ有と比較され「浪速のダルビッシュ」と呼ばれていた[13]。
阪神時代[編集]
2012年10月25日に行われたプロ野球ドラフト会議で、阪神タイガース、オリックス・バファローズ、東京ヤクルトスワローズ、千葉ロッテマリーンズの4球団から1巡目指名を受け、抽選の結果、阪神が交渉権を獲得[14]。阪神の担当スカウトは畑山俊二[15]。ドラフト翌日の10月26日に、阪神球団GMの中村勝広、監督の和田豊から直接指名挨拶を受けた際に、「打倒巨人の意味を込め、(かつて巨人キラーと呼ばれた小林繁が着用していた)背番号19を背負ってほしい」と背番号「19」が提示され[16]、11月15日に契約金1億円+出来高5,000万円、年俸1,500万円で仮契約した[17]。
引用 : https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E6%B5%AA%E6%99%8B%E5%A4%AA%E9%83%8E
藤浪 晋太郎 画像 : https://search.yahoo.co.jp/image/search;_ylt=A2RivbnDv.BYEzQAUQKU3uV7;_ylu=X3oDMTBhcmNxcTgxBHZ0aWQDSVMwMDI-?p=%E8%97%A4%E6%B5%AA+%E6%99%8B%E5%A4%AA%E9%83%8E&aq=-1&oq=&ei=UTF-8
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