山口 百恵(やまぐち ももえ )は、日本の元歌手、元女優。
山口 百恵(やまぐち ももえ、1959年1月17日[1] - )は、日本の元歌手、元女優。戸籍名、三浦 百惠(みうら ももえ)旧姓、山口。
配偶者は、俳優の三浦友和(1980年11月19日結婚)。長男はシンガーソングライター・俳優・歌手の三浦祐太朗。次男は俳優の三浦貴大。
活動時の所属事務所はホリプロダクション(現:ホリプロ)、レコード会社はCBS・ソニー(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント)に所属。
以下、氏名の表記は特記を除き「百恵」で統一する。
東京都渋谷区に生まれる[2]。幼少時を神奈川県横浜市瀬谷区(当時は戸塚区)、小学2年生から中学生でデビューするまで横須賀市で過ごした。横須賀市立鶴久保小学校卒業。横須賀市立不入斗中学校[3]時代に、スター誕生!に出場した。日出女子学園高等学校卒業。
芸能界デビュー[編集]
1972年12月、オーディション番組『スター誕生!』で、牧葉ユミの「回転木馬」[4]を歌い、準優勝[5][6][7]、20社から指名を受ける。同番組への出演応募のきっかけは、同い年の森昌子がテレビで活躍しているのを見て自分も森昌子さんのようになりたいと思ったこと。同番組では、審査員の阿久悠から「あなたは青春ドラマの妹役なら良いけれど歌手は諦めた方が良い」と言われる。
1973年4月、映画『としごろ』に出演し、5月21日に同名の曲で歌手としてもデビュー。森昌子・桜田淳子と共に「花の中三トリオ」と呼ばれた。デビューのキャッチコピーは「大きなソニー、大きな新人」。1973年5月20日、デビュー曲の発売される前日にさいか屋横須賀店の屋上にあるステージで、地元でのお披露目として「としごろ」を歌う。デビュー曲の「としごろ」は、スタッフの期待以下のセールスに止まったため、第二弾の「青い果実」ではイメージチェンジを図り、大胆な歌詞を歌わせる路線を取った。これは「青い性路線」(「性典ソング」)と呼ばれるようになり[6]、それは1974年の「ひと夏の経験」の大ヒットで大きく花咲くこととなった[8]。年端のいかない少女が性行為を連想させるような際どい内容を歌うという、この「青い性」路線で百恵は絶大な人気を獲得することになる。歌詞の内容は際どかったが、辺見マリや夏木マリ、あるいは1970年代に復活した山本リンダなどのセクシー路線の歌手と違い、百恵は年齢が低くビジュアル面では純朴な少女というイメージだった。歌とビジュアルのギャップ、それに伴うある種の背徳感が、百恵の人気を独特なものにしていったと言われる。これは百恵の芸能人としての資質によるだけではなく、所属事務所やレコード会社による周到なイメージ戦略の賜物でもあった[9]。「ひと夏の経験」を歌っていた時期のインタビューではたいてい「女の子の一番大切なものって何だと思いますか」と質問されたが、百恵は全て「まごころ」で通した[6]。
同曲が大ヒットした1974年には文芸作品の名作『伊豆の踊子』に主演し、演技でも評価を得る。この映画で共演した相手役の三浦友和とはグリコプリッツのCMでこの年の夏に共演済であった。『伊豆の踊子』は一般公募で相手役を募集したが、このグリコCMを観た『伊豆の踊子』の監督、西河克己が最終選考の中に三浦の書類を入れたと言われている。三浦とはその後もテレビドラマやCMでも共演し、共に絶大な人気を博し、二人は「ゴールデンコンビ」と呼ばれた。
引用 : https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E7%99%BE%E6%81%B5
山口 百恵 画像 : https://search.yahoo.co.jp/image/search;_ylt=A2RimE2F8dhYC2YACheU3uV7;_ylu=X3oDMTBhcmNxcTgxBHZ0aWQDSVMwMDI-?p=%E5%B1%B1%E5%8F%A3+%E7%99%BE%E6%81%B5&aq=-1&oq=&ei=UTF-8
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