現役時代は福岡ソフトバンクホークス(福岡ダイエーホークス)と読売ジャイアンツに所属しており、両球団で主将を務めた。
現役時代は福岡ソフトバンクホークス(福岡ダイエーホークス)と読売ジャイアンツに所属しており、両球団で主将を務めた。2005年から2009年まで社団法人日本プロ野球選手会の第10代理事長を務めていた。
2013年からはNHKの野球解説者と野球日本代表(侍ジャパン)の監督を務める。学生・社会人・プロ野球でのコーチ・監督の経験無しで野球日本代表(侍ジャパン)の監督を務めるのは史上初で在る。
プロ入り前[編集]
1971年に和歌山市で生まれる。和歌山市立砂山小学校から和歌山市立西和中学校へ進学し、野球部に所属。中学校卒業後は和歌山県立星林高等学校に進学し、1989年に青山学院大学へ進学。東都大学リーグでは通算40試合に出場して打率.291、8本塁打、23打点を記録する。1993年には小久保が主将となり、青山学院大学史上初の大学野球日本一に貢献した。
1992年にはバルセロナオリンピック野球日本代表に大学生で唯一選出され、予選リーグで2本塁打を放つ。のちにメジャーリーグベースボールでプレーするノマー・ガルシアパーラ、ジェイソン・ジアンビを擁するアメリカ合衆国との試合で、小久保は先制打を含む2本のタイムリー二塁打で勝利に貢献し、銅メダルを獲得した。
ダイエー時代[編集]
読売ジャイアンツと福岡ダイエーホークスとの競合の末、ダイエーを逆指名し、1993年のドラフト会議で2位で指名され、入団。背番号は9。年俸は1200万円、契約金は最高額の1億6000万円であった(以下、金額は推定)。
1994年には春季キャンプから高畠康真の指導を受け、オープン戦はまずまずの成績を残し、同年4月9日の対オリックス・ブルーウェーブ戦(グリーンスタジアム神戸)に6番・右翼手として初出場を果たす。チームは17得点で大勝するも小久保は6打数0安打と散々なデビュー戦となった。4月10日のオリックス・ブルーウェーブ戦(グリーンスタジアム神戸)で野田浩司からプロ初安打を放つもその後は振るわず、同年7月5日の対千葉ロッテマリーンズ戦(北九州市民球場)で、34試合目・67打席目で園川一美からようやくプロ初本塁打を放った。最終的には打率.215・6本塁打と不本意なルーキーイヤーとなったため、この現状を打破すべく「ハワイ・ウインター・ベースボール」に参加し、首位打者とMVPに輝いた。そして、本人曰く「ものすごく緊張した」という、翌年から福岡ダイエーホークスの監督に就任する王貞治の目の前で本塁打を放ち、優勝へ導いた。
巨人時代[編集]
2003年のシーズン終了後、多くのファンから来季の復活を期待されていたが、11月3日に突如読売ジャイアンツへ前代未聞の無償トレードで移籍することが発表された。移籍の理由は、当時の球団社長である高塚猛と意見が合わなかったことや、アメリカでの治療費・渡航費である約2000万円が球団から一切支払われなかったことが挙げられ、小久保はアメリカから一時帰国した2003年6月中旬に球団に対して自由契約の意思を伝えていた。無償トレードとなったのは、当時のオーナーである中内正が、金銭トレードの分を小久保の年俸に上乗せするよう巨人側へ伝えたからとされる[5][6]。この一件はチームメイトやダイエーファンのみならず、球界全体に大きな衝撃を与え、前年優勝していたチームは優勝旅行をボイコットした[7]。この事件について小久保を慕う松中は、中日新聞の取材に対して「球団にふざけるな、と言いたい。どうして小久保さんをタダで巨人に出さなきゃいけないんですか。あんなにチームのために一生懸命やった人が簡単に放出されるなら、ぼくらだって同じ目に遭う。この球団は勝ちたくないんでしょうね。終わりですよ。ファンには申し訳ないけれど、来年連覇したいという気が急激に薄れています」と怒りをぶちまけ、小久保と自主トレを行ってきた斉藤和巳は「今、頭の中が真っ白で何も考えられません。恥ずかしいです。とても日本一の球団がやることじゃない。選手としては侮辱されているとしか思えない」と大きなショックを隠さなかった。
引用 : https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E4%B9%85%E4%BF%9D%E8%A3%95%E7%B4%80
小久保裕紀 画像 : https://search.yahoo.co.jp/image/search;_ylt=A2RCAwgUiuNYDiQAkw6U3uV7?p=%E5%B0%8F%E4%B9%85%E4%BF%9D%E8%A3%95%E7%B4%80&aq=0&oq=%E5%B0%8F%E4%B9%85%E4%BF%9D&ei=UTF-8
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