富川 悠太(とみかわ ゆうた、1976年9月3日 - )は、テレビ朝日アナウンサー。
富川 悠太(とみかわ ゆうた、1976年9月3日 - )は、テレビ朝日アナウンサー。
愛知県名古屋市出身。東京都立国立高等学校、横浜国立大学教育学部小学校教員養成課程体育専攻を卒業後、 1999年4月、テレビ朝日に入社[1]。
子供の頃はプロ野球選手に憧れ、学生時代は野球部(都立国立高校在学中)に所属。副主将でポジションはショート[1]。 当時はいわゆる「牛乳瓶の瓶底」のような黒縁眼鏡をかけていた。大学でも体育を専攻。小学校の教員免許も取得した[2]。大学生時代には、母校・国立高野球部の助監督も務めていた[1]。
アナウンサーとして入社した時には、スポーツを志望。最終面接で「報道だけはやりたくない」といったほど、最初は報道には消極的だった[1]。入社2年目の2000年に『スーパーJチャンネル』のミニコーナー「世にも明るいニュース」を担当[3]。小宮悦子から厳しく指導を受けた[3]。「うまくリポートする、という小手先のテクニックではなく、カメラワークから編集まで含めて、ニュースをどう見せるか。テレビマンとしての基礎をとことん学んだ」という[3]。
報道番組のリポーターとしての活動がメインで、『報道ステーション』では政局や事件を追いかける一方、『スーパーJチャンネル』では街の面白い噂やグルメを追いかけたり(2007年まで)と、硬軟問わず担当。2016年4月11日に古舘伊知郎の後任として『報道ステーション』のメインキャスターに就任した[4]。2004年に終了した『ニュースステーション』の久米宏(当時41歳)、『報道ステーション』の前司会者の古舘(当時49歳)と2人は40代で就任したのに対し、富川は30代での就任となった。
大の『暴れん坊将軍』フリーク。2002年放送の『暴れん坊将軍XII』第6話に、特別出演した。2002年8月9日の『スーパーJチャンネル』の中で、富川の出演シーンをレポートしたコーナーが放映された。 その前にも同年3月に『八丁堀の七人』に出演したこともある。このときは『スーパーJチャンネル』にて番組の取材をした際に富川が直接担当者にお願いしての出演であり、最終話で一瞬ではあるが登場している。 また、2007年の石原プロモーション制作の新春ドラマスペシャル『マグロ』にもチョイ役ではあるが出演。このときも2006年12月22日の『スーパーJチャンネル』にて紹介された。
2014年12月には、同年8月に筋萎縮性側索硬化症で亡くなったいとこの富川睦美を取り上げた『笑顔の約束?難病ALSを生きる?』に出演。同番組は、2015年11月に民放連のテレビ教養部門で優秀賞を受けている。
2006年11月、一般人の女性と結婚。二男の父親である。
黒柳徹子が大ファンで、『徹子の部屋』(2016年4月11日放送分)に富川が初出演した[5]。
自身の『報道ステーション』メインキャスター就任後も古舘との交流は続いている[6]。
2016年、オリコンで毎年発表される年末の「好きなアナウンサーランキング」では、この年で5年連続1位になり、殿堂入りした日本テレビアナウンサー桝太一、同じく日本テレビ出身のフリーアナウンサー羽鳥慎一、朝日放送出身のフリーアナウンサー宮根誠司や自身がキャスターを務めている報ステ前任者の古舘、NHKアナウンサー武田真一等の知名度や実力者が常連として連なる中、富川自身も初のランクインを果たし8位にランクインされた(女性が選ぶ「好きな男性アナウンサーランキング」でも、10位にランクインしている)[7]。
引用 : https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B7%9D%E6%82%A0%E5%A4%AA
富川 悠太 画像 : https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E5%AF%8C%E5%B7%9D%E6%82%A0%E5%A4%AA&search.x=1&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=0&oq=%E3%81%A8%E3%81%BF%E3%81%8B%E3%82%8F&at=s&ai=l4Sw4CrjRriTKWu4BCh7XA&ts=12283&fr=top_ga1_sa
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