森本 毅郎(もりもと たけろう、1939年9月18日 - )は、東京都出身のフリーアナウンサー・司会者
森本 毅郎(もりもと たけろう、1939年9月18日 - )は、東京都出身のフリーアナウンサー・司会者。元NHKアナウンサー、ニュースキャスター。愛称は「タケロー」。 株式会社ラダック(LADAK)は森本が設立した番組制作会社である。 兄は評論家の森本哲郎。また、大の阪神タイガースファンとしても知られている。
NHK時代[編集]
東京都立富士高等学校、慶應義塾大学文学部英文学科卒業後、1963年にNHKにアナウンサーとして入局[1]。
『NHKニュースワイド』の担当を務めた。
フリー転身後[編集]
1984年にNHKを退職し、TBSと専属契約、1997年以降はTBS以外にも活動の場を広げる。
2008年3月の『噂の!東京マガジン』では、「医者がきつくて辞めるのは、医者のモラルの問題」「病院の救急外来はコンビニのようになるべき」と発言したために、スポンサーの不買運動につながった。
2014年10月3日、『森本毅郎・スタンバイ!』において、御嶽山の噴火で、雨の影響で捜索を中止した自衛隊の判断について批判する小沢遼子に対して、森本は「ちょっとの風が吹いたり、雨が降るとやめちゃう自衛隊」と同調した[2]。
2015年11月29日放送の『噂の!東京マガジン』のエンディングで、腰の手術のためしばらく休養することを報告した[3]。
出演している番組[編集]
テレビ[編集]
噂の!東京マガジン(TBSテレビ 1989年10月1日 - )
ラジオ[編集]
森本毅郎・スタンバイ!(TBSラジオ 1990年4月 - )
出演していた番組[編集]
テレビ番組[編集]
新日本紀行(1973年 - 1974年、NHK総合)ナレーター
女性手帳(1974年 - 1977年、NHK総合)聞き手役
教養特集(1977年 - 1979年、NHK総合)キャスター
大河ドラマ『草燃える』1979年度、NHK総合)ナレーター
ニュースセンター9時(時期不明 NHK総合)ナレーター
第50回東京優駿[4](1983年、NHK総合)実況
NHKニュースワイド(1980年 - 1984年、NHK総合)キャスター[5]
諸君!スペシャルだ→日曜ゴールデン特番(1984年、TBS)
森本毅郎さわやかワイド→森本ワイド モーニングEye(1984年 - 1987年、TBS)キャスター
輝く!日本レコード大賞(1984年 - 1986年、TBS)司会
JNNニュース22プライムタイム(1987年 - 1988年、TBS)キャスター
そこが知りたい(1987年 - 1997年、TBS)司会
ぴりっとタケロー(1990年、TBS)司会
悠々!お昼です(1990 - 1991年、TBS)司会
わいど!ウオッチャー → ウォッチャー(1993年 - 1995年、TBS)司会
スパスパ人間学!(1999年 - 2004年、TBS)司会
スーパーナイト(1997年 - 2001年 フジテレビ・関西テレビ)司会
情報ライブ EZ!TV(2001年 - 2005年 フジテレビ・関西テレビ)司会
グレートマザー物語(2001年4月 - 2007年3月、テレビ朝日)ナレーター
ハイビジョン特集『偉大なる旅人 鄭和』(2006年2月1日・2日、BShi)ナレーター
引用 : https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E6%9C%AC%E6%AF%85%E9%83%8E
森本 毅郎 画像 : https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E6%A3%AE%E6%9C%AC%E6%AF%85%E9%83%8E&aq=9&oq=%E3%82%82%E3%82%8A%E3%82%82%E3%81%A8&at=s&ai=4tdi0Kg9SJCo4CYBfXuFWA&ts=7842&ei=UTF-8
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