塩谷 司(しおたに つかさ、1988年12月5日 - )は、徳島県小松島市出身[1] のプロサッカー選手。
塩谷 司(しおたに つかさ、1988年12月5日 - )は、徳島県小松島市出身[1] のプロサッカー選手。Jリーグ・サンフレッチェ広島所属。ポジションはディフェンダー(センターバック、サイドバック)。 元日本代表。
プロ入り前[編集]
小学生時代は南小松島FCと大松SCに所属。中学生年代は大塚FCジュニアユース(現徳島ヴォルティスジュニアユース)に所属、当時の2歳下に石川雅博がいる。当時から全く無名だった[2]。
2004年、徳島県立徳島商業高等学校に進学[3]、高1および高2のとき選手権(第83回・第84回)にミッドフィルダーとして出場している[4]。この選手権での活躍により国士舘大学からスポーツ特待生としてスカウトされる[2]。
2007年、国士舘大学へ進学[3] し、国士大サッカー部に所属する。同期に新井章太や大竹隆人。なお、後に広島でチームメイトとなる柴崎晃誠は4学年、 柏好文は1学年上の先輩にあたる。主にボランチや左サイドのMFとしてプレーしていたものの、レギュラーを掴むに至らなかった[2]。2009年大学3年時、父親が急死、退学し就職を考えていたが細田三二国士大監督に説得され思いとどまる[2]。2010年大学4年時に、柱谷哲二が国士大コーチに就任したことが転機となる。この年、柱谷によりセンターバックにコンバートされ鍛えられ、レギュラーを獲得した[2][5]。大学卒業の際にはJリーグクラブからオファーがなく、唯一JFL・SAGAWA SHIGA FCが声をかけたぐらいだった[2]。
水戸ホーリーホック[編集]
2011年、柱谷がJリーグ・水戸ホーリーホック監督に就任すると、宙ぶらりんの状況だった塩谷を水戸に誘った[2]。水戸は前年まで主力だった選手が大量に移籍退団したことから大学出身の新入団選手を大量に獲得しており[6]、ロメロ・フランク、小澤司、鈴木将也、代健司、飯田優二、金久保彩、神村奨、小幡純平、笠原昂史が同期入団となった。またDFも大和田真史や作田裕次ら主力が軒並み退団し[6]、DFライン再編を余儀なくされた状況だった。その中で塩谷はレギュラーに抜擢され開幕戦からスタメン出場を果たし[7]、シーズン中にはDFラインのリーダーになるほど成長した[6]。北関東ダービーでは3試合でゴールを決めており「ダービー男」と呼ばれた[8]。同年末の天皇杯ではガンバ大阪と対戦し、水戸の対J1勢初勝利に貢献した[9]。2012年シーズンも引き続き水戸で中心選手として活躍した[3]。同年、この活躍によりJ1勢の大宮アルディージャ・清水エスパルス・サンフレッチェ広島から獲得オファーが届いた[10]。
サンフレッチェ広島[編集]
2012年8月、塩谷は広島へ完全移籍した(ただし移籍金については非公開。)[3]。これは、柱谷と広島の森保一監督がドーハの悲劇時のオフトジャパンメンバーで、柱谷が広島を推薦したことにより決まった[2][11]。移籍当初は森脇良太のバックアップとしてリーグ戦3試合の出場にとどまったが[5]、2013年に森脇が移籍退団すると塩谷は3バックの一角としてレギュラーとなりその穴を埋める以上の活躍を見せ、千葉和彦・水本裕貴と共にリーグ戦全34試合に出場しチームの連覇に貢献した[12]。
翌2014年には攻撃参加の精度に成長が見られ、第6節の名古屋グランパス戦までに4ゴールを挙げた。塩谷もこの活躍によりアルベルト・ザッケローニ日本代表監督の目に止まり、5月の日本代表キャンプに呼ばれたものの[13]、この時点でのAキャップ出場はならず2014 FIFAワールドカップにも選出されなかった。その後10月10日のキリンチャレンジカップ・ジャマイカ戦で日本代表デビューを果たした。最終的にリーグ戦で6ゴールを記録し、ベストイレブンに選出された。オフにはFC東京から獲得のオファーがあった[14] が、「広島からワールドカップに出る」と塩谷も自らクラブに5年契約を求め契約を更新した[15]。
2016年6月14日、リオデジャネイロオリンピックに出場するU-23サッカー日本代表のオーバーエイジ枠に内定したことが発表された[16]。センターバックに入りグループリーグ全試合フル出場を果たすも、不慣れな環境下で[17]、DF植田直通との距離感が悪く、ビルドアップでもリスクの高いパスを選択して危険を招く[18]など期待に応えられず[19]チームはグループリーグ敗退となった。
引用 : https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%A9%E8%B0%B7%E5%8F%B8
塩谷 司 画像 : https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E5%A1%A9%E8%B0%B7%E5%8F%B8&aq=0&oq=%E3%81%97%E3%81%8A%E3%81%9F%E3%81%AB&at=s&ai=AoxUhazCT.eGPxgbeAAQ2A&ts=7030&ei=UTF-8
- 関連記事
-
- 中田 翔(なかた しょう、1989年4月22日 - )は、広島県広島市中区出身のプロ野球選手
- 炭谷 銀仁朗(すみたに ぎんじろう、1987年7月19日 - )は、京都府京都市左京区出身のプロ野球選手(捕手)。
- 稀勢の里 寛(きせのさと ゆたか、1986年7月3日 - )は、茨城県牛久市出身(出生地は兵庫県芦屋市[2][3])で田子ノ浦部屋(入門時は鳴戸部屋)所属の現役大相撲力士。
- 小林 誠司(こばやし せいじ、1989年6月7日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(捕手)。
- 坂本 勇人(さかもと はやと、1988年12月14日 - )は、兵庫県伊丹市出身のプロ野球選手(内野手)。
- 丸山 祐市(まるやま ゆういち、1989年6月16日 - )は、東京都世田谷区出身の[2]サッカー選手。
- 塩谷 司(しおたに つかさ、1988年12月5日 - )は、徳島県小松島市出身[1] のプロサッカー選手。
- 藤春 廣輝(ふじはる ひろき、1988年11月28日 - )は、大阪府東大阪市出身のプロサッカー選手
- 吉田 麻也(よしだ まや、1988年8月24日 - )は、長崎県長崎市出身のプロサッカー選手。
- 現役引退を表明したフィギュアスケート女子の村上佳菜子(22)が世界国別対抗戦のエキシビジョン後に取材に応じ、「ホントに幸せものだなと思う。現役はこれで終わりだけど、ここからがスタート。今までと違った努力をしていけたらいいな」と話した。
- 米倉 恒貴(よねくら こうき、1988年5月17日 - )は、千葉県千葉市出身のプロサッカー選手。
- 太田 宏介(おおた こうすけ、1987年7月23日 - )は、東京都町田市出身のサッカー選手。
- 森重 真人(もりしげ まさと、1987年5月21日 - )は、広島県広島市安佐北区出身のプロサッカー選手。




