仲本 工事(なかもと こうじ、1941年〈昭和16年〉7月5日 - )は、日本のコメディアン、歌手、ギタリスト、作曲家、俳優。
仲本 工事(なかもと こうじ、1941年〈昭和16年〉7月5日 - )は、日本のコメディアン、歌手、ギタリスト、作曲家、俳優。ザ・ドリフターズ、こぶ茶バンドのメンバー。本名、仲本 興喜(なかもと こうき)。
東京府東京市渋谷区(現:東京都渋谷区)出身[1]。イザワオフィス所属。バンドでの担当はボーカルとギター。血液型はA型。身長160cm、体重66.5kg[2]。両親は共に沖縄県からの上京者。ドリフ映画での呼び名は「メガネ」。
東京都立青山高等学校在学中は300人中7番の秀才で、東京都で2位の成績を残した体操選手としても活躍、文武両道であった。将来は弁護士になることを志望していた。同級生には俳優の橋爪功がいた(ただし橋爪は転入生である)。
学習院大学政治経済学部卒(他の大卒メンバーは荒井、高木、志村であり、このうち志村は社会人学生として大学を卒業している)。大学時代、ジェリー藤尾率いるジャズ・バンド「パップ・コーンズ」にセカンドシンガーとして本名で参加。この時のバンジョー奏者に高木智之(後の高木ブー)がいた。ドリフターズ加入前には加藤英文(後の加藤茶。加藤の本名)とともにクレイジーウエストに参加していたこともある。
高木の誘いにより1965年1月1日付でドリフターズに加入。高木はいかりやに紹介するギタリストを仲本にするか、それとも同じバンド仲間の青木健にするか少し悩んだが、いかりやがあまりに急いでいたため、すぐ連絡が取れた仲本に声をかけたと述べている[3]。また、当初両親が芸能界入りに反対したため、いかりやが連日仲本の自宅に通って説得したという。
1966年、日本武道館で開催されたビートルズ日本公演の前座としてドリフターズも参加。『ロング・トール・サリー』(邦題:『のっぽのサリー』)を仲本のリードボーカルで演奏した。
1969年10月、ドリフターズをメインに据えた国民的バラエティ番組『8時だョ!全員集合』がスタート。仲本もメンバーとしてグループの中枢を支える。
1981年、競馬のノミ行為が発覚し、志村けんとともに書類送検された。志村に比べて賭け金が大きかった事から、『8時だョ!全員集合』のプロデューサーだった居作昌果共々競馬法違反で略式起訴され罰金刑を受けた。この事件は当時の新聞の社会面やトップを飾り(朝日新聞の見出しは『ノミ馬券だョ!全員集合』)、仲本、志村は以降しばらく『全員集合』をはじめとするテレビ出演を見合わせ、ドリフターズ全員で出演していた永谷園のテレビCMも、仲本、志村を除く3人のみのバージョンに差し替えられるなど、芸能活動を1か月半自粛した。また、同年7月25日放送の『全員集合』での学校コントでは、仲本自身がこの件に関連したネタを披露する場面があった。なお、いかりやも一緒に関わっていたにもかかわらず、実際に摘発されたのは仲本、志村の2人だったという[4]。
引用 : https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%B2%E6%9C%AC%E5%B7%A5%E4%BA%8B
仲本 工事 画像 : https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E4%BB%B2%E6%9C%AC%E5%B7%A5%E4%BA%8B&aq=2&oq=%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%82%82%E3%81%A8&at=s&ai=beRcFinuRNCZiHFoxE49vA&ts=6729&ei=UTF-8
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