宮西 尚生(みやにし なおき、1985年6月2日 - )は、兵庫県西宮市出身のプロ野球選手(投手)。
宮西 尚生(みやにし なおき、1985年6月2日 - )は、兵庫県西宮市出身のプロ野球選手(投手)。北海道日本ハムファイターズ所属。
プロ入り前[編集]
兵庫県西宮市出身。小学1年から野球を始め、中学時代はボーイズリーグの尼崎ボーイズでプレーし南大阪大会で優勝する。尼崎市立尼崎高校時代は1年先輩の金刃憲人と共に注目されるが全国大会には縁がなかった。
高校卒業後、関西学生野球連盟所属の関西学院大学に進学。1年先輩に清水誉、同期に荻野貴司、1学年後輩に岸敬祐がいる。1年秋からベンチ入りし、2年春のリーグ戦では先発投手とリリーフの両方でフル回転し、48回1/3連続無失点のリーグ記録を達成。第16回IBAFインターコンチネンタルカップや北京プレオリンピック野球日本代表など4度日本代表に選出された。しかし、3年次以降は球速を上げようとしてフォームを崩したため、成績は伸び悩んだ。リーグ戦通算46試合登板、19勝13敗、防御率1.58、奪三振291。梨田昌孝の長男・和利とは大学の4年間チームメイトだった。
日本ハム時代[編集]
2007年11月19日に行われた大学生・社会人ドラフト会議において北海道日本ハムファイターズから3巡目指名を受け入団。後年、入団当時を振り返って「大学3年から思うような成績を残せず、落ち目のところで山田正雄GMに拾ってもらった。感謝しかない」と述べている[1]。
2008年3月25日の埼玉西武ライオンズ戦でプロ初登板。一軍公式戦通算の防御率が4点台ながら、チームに数少ない左の中継ぎとして一軍の戦力となった。
2009年8月に新型インフルエンザに罹り入院したが、復帰後初登板した8月28日の試合で7勝目を挙げ、岸孝之の6連勝を超えて開幕からの連勝記録でリーグトップとなった。8月29日までは防御率1点台を維持した。閉幕時は防御率2.89まで低下したが、58登板は菊地和正と並んでチーム最多、20ホールドポイントはリーグ8位。
2010年5月19日にプロ初セーブを挙げた。8月21日に伝染性のウイルス性結膜炎に感染したため一時的に出場選手登録を外れたが、同年に記録したチーム最多(リーグ6位)の61登板、リーグ7位の25ホールドポイント、防御率1.70は前年度の成績を上回った。また、この年で、入団1年目から一軍公式戦3年連続50試合登板を達成。(前身球団を含む)日本ハムの投手としては、1969年から1972年に金田留広が記録した以来39年振りの記録であった。
引用 : https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E8%A5%BF%E5%B0%9A%E7%94%9F
宮西 尚生 画像 : https://search.yahoo.co.jp/image/search;_ylt=A2RivdBLveBYIDUAGCmU3uV7;_ylu=X3oDMTBhcmNxcTgxBHZ0aWQDSVMwMDI-?p=%E5%AE%AE%E8%A5%BF+%E5%B0%9A%E7%94%9F&aq=-1&oq=&ei=UTF-8
- 関連記事
-
- 金崎 夢生(かなざき むう、1989年2月16日 - )は、三重県津市出身のプロサッカー選手。
- 小林 悠(こばやし ゆう、1987年9月23日 - )は、東京都町田市出身のプロサッカー選手。
- 香川 真司(かがわ しんじ、1989年3月17日 - )は、兵庫県神戸市出身のプロサッカー選手。
- 武藤 雄樹(むとう ゆうき、1988年11月7日 - )は、神奈川県座間市出身のプロサッカー選手。
- 永木 亮太(ながき りょうた、1988年6月4日 - )は、神奈川県横浜市出身のプロサッカー選手。
- 昌子 源(しょうじ げん、1992年12月11日 - )は、兵庫県神戸市出身のプロサッカー選手[1]。
- 宮西 尚生(みやにし なおき、1985年6月2日 - )は、兵庫県西宮市出身のプロ野球選手(投手)。
- 松田 宣浩(まつだ のぶひろ、1983年5月17日 - )は、滋賀県草津市矢橋町出身のプロ野球選手
- 則本 昂大(のりもと たかひろ )は、滋賀県犬上郡多賀町[2]出身のプロ野球選手(投手)。
- 松井 裕樹(まつい ゆうき )は、神奈川県横浜市青葉区出身のプロ野球選手
- 遠藤 康(えんどう やすし、1988年4月7日 - )は、宮城県出身のサッカー選手
- 柏木 陽介(かしわぎ ようすけ、1987年12月15日[1] - )は、兵庫県神戸市生まれ、揖保郡御津町 (現:たつの市) 育ちのサッカー選手。
- 長谷部 誠(はせべ まこと、1984年1月18日 - )は、静岡県藤枝市出身のプロサッカー選手。




