及川 光博(おいかわ みつひろ )は、東京都出身のミュージシャン、シンガーソングライター、俳優。
及川 光博(おいかわ みつひろ、1969年10月24日 - )は、東京都出身のミュージシャン、シンガーソングライター、俳優。成城学園中学校高等学校、成城大学法学部法律学科卒業。業務提携先はホリプロ。2015年まではマザーエンタープライズに所属。妻は女優の檀れい。
舞台演劇俳優、バンド活動を経て[2]、1996年(平成8年)に「モラリティー」で歌手デビューした[3]。デビュー以来、自らのプロデュースにより「王子[4]」と自称していたが、1998年(平成10年)8月22日に富士急ハイランドで行われた「ひとりのビッグショー'98『魔宮の聖戦』」で、「王子転職宣言」をした。
1998年、『WITH LOVE』に出演し、俳優としての活動を始める[5]。
2011年(平成23年)7月27日、女優の檀れいと結婚した[6]。
2012年(平成24年)7月31日、ホリプロとの業務提携を発表する。ドラマ、映画、CMなど俳優としての活動はホリプロ所属で活動するが、音楽活動及びファンクラブの運営は従来通りマザーエンタープライズで所属契約を続ける[7]。
2015年(平成27年)7月6日、マザーエンタープライズとの契約を円満終了したことを発表。以後は俳優活動を含めたマネジメント業務をDGエージェントに委託し、ホリプロと提携していくとしている[8]。
2016年、第29回日本メガネベストドレッサー賞・芸能界部門[9]、第17回ベストフォーマリスト賞を受賞[10]。
人物[編集]
愛称はミッチー。同時にこれを「職業」とも自称。
長所は「理想主義」で、短所は「完璧主義」と自ら語る。普通、所属事務所が行うタレントとしてのプロデュースを、自らが指針を決めて行うという。また歌手としてはライブのコンセプト、構成、演出、振り付けなど、総合プロデューサーとしても手腕を発揮している。
ファンを非常に大切にしていることも有名である。ファンレター、メール、コンサート会場で回収されるアンケート用紙などは、全て自ら目を通しているらしい。また、女性のファンを「ベイベー」、男性のファンを「男子」と呼ぶ。
心の距離を縮めたいため、芸能界の友人知人に対しては及川自身が勝手につけたあだ名で呼ぶことが多い。「クドカン」こと宮藤官九郎は、初対面の及川にいきなり「カンクちゃん」と呼ばれ、「(今まで誰からも)カンクちゃんなんて呼ばれたことないし…」と戸惑ってしまった旨を話していたことがある[11]。
活動初期には、自分の中には7人の人格が存在しているとし、それぞれのキャラクターを場面に応じて演じていた(実際には7人以上のキャラクターが表面化している。楽曲にも登場している花椿蘭丸、振り付け師、ダンス講師・流星光一郎や精神科医などが特筆される)。更に性別までも「男性:74%」としていた時期もある。現在ではそれぞれの人格は統合され、「及川光博」として存在している。
俳優としては役柄の対応は柔軟で、極端な三枚目や汚れ役は引き受けないまでも、悪の要素やユーモアを前面に出す演技も得意である。
引用 : https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8A%E5%B7%9D%E5%85%89%E5%8D%9A
及川 光博 画像 : https://search.yahoo.co.jp/image/search;_ylt=A2RCL5oDXuBYg2cAjg2U3uV7;_ylu=X3oDMTBhcmNxcTgxBHZ0aWQDSVMwMDI-?p=%E5%8F%8A%E5%B7%9D%E5%85%89%E5%8D%9A&aq=0&oq=%E3%81%8A%E3%81%84%E3%81%8B%E3%82%8F&ei=UTF-8
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