植田 直通(うえだ なおみち、1994年10月24日 - )は、熊本県宇土市出身のサッカー選手。
植田 直通(うえだ なおみち、1994年10月24日 - )は、熊本県宇土市出身のサッカー選手。ポジションはDF(センターバック)。鹿島アントラーズ所属。日本代表。
プロ入り前[編集]
小学生時代にテコンドーを始め、小学3年生の時には小学生部門全国第3位になった他、中学時代には日本一、さらに、世界大会にも出場したという。小学3年生の頃に友達に誘われて緑川少年スポーツクラブでサッカーを始めると、徐々にサッカーに熱中するようになる[1]。
宇土市立住吉中学校ではサッカー部に所属、中学2年生の頃に熊本県のナショナルトレセンに加入している[2]。中学卒業後は「どうせやるなら、全国やプロを目指せる環境で挑戦したかった」という思いで、地元の強豪校大津高校に入学。サッカー部に入部して間もなく平岡和徳監督から「日本で極めてまれな素材」とその才を見出され、1年生の頃からスタメンに抜擢される[3][4]。主将として3年時に出場した第91回全国高等学校サッカー選手権大会では一回戦で旭川実業高等学校に敗れた[5]。
鹿島アントラーズ[編集]
高校卒業後、浦和レッズ、横浜F・マリノス、川崎フロンターレ、FC東京や名古屋グランパスなど数多くのクラブからオファーを受けたが、最終的に「雰囲気がファミリーに近い」という理由で[6]同じ大津高校の豊川雄太とともに2013年、鹿島アントラーズに入団する[7][8]。入団会見では自身をワニに喩え、ワニが獲物を水中に引きずりこんで仕留めるように得意な部分に持っていって相手を仕留めたい、と語った[9]。2013年3月23日、ナビスコカップ第2節・FC東京戦でプロ初出場を果した。
2014年3月1日、J1第1節ヴァンフォーレ甲府戦でJリーグ初出場を果たす。
2015年4月16日、J1 1stステージ第6節柏レイソル戦でプロ初得点を挙げた。シーズン終了後はサガン鳥栖やヴィッセル神戸からオファーを受けたが、断って鹿島に残留する事を決めている[10][11]。
2016年はファン・ソッコとレギュラー争いをして、センターバックのポジションを争った。FIFAクラブワールドカップ2016では昌子源とディフェンスラインを組み、堅い守備で決勝進出に貢献した。決勝のレアル・マドリード戦では4失点を喫し敗戦したものの、その守備力は海外メディアからも評価された[12][13]。
日本代表[編集]
サッカー経験は浅かったが、U-16日本代表以降、年代別の代表に選出されている。
2014年12月28日、怪我により出場辞退した内田篤人に代わり、2015年1月にオーストラリアで行われるAFCアジアカップ2015の日本代表メンバーに初選出された[14]。しかし、大会を通して試合に出場する事はなく、チームも準々決勝で敗れた。
2016年、AFC U-23選手権2016のメンバーに選出され、グループリーグ第1戦のU-23北朝鮮代表戦では決勝ゴールをあげた。7月1日、リオデジャネイロオリンピックの18人のメンバーに選出され、3試合全てフル出場するも、チームはグループリーグ敗退となった。
2016年9月1日、怪我で離脱した昌子源に代わり、2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選に追加招集された。
プレースタイル[編集]
186cmの長身と抜群の身体能力を誇るセンターバック。フィジカルと対人戦、空中戦の強さに自信を持ち、「フィジカルなら海外の選手にも負ける気はしない」と自負している[15]。豊川雄太は高校時代の植田について「こいつ(植田)が守備で負けたのを見たことがない。大学生でもプロでも吹っ飛ばしていた」と語る[6]。また、50mを6.1秒で走る俊足も兼ね備えており、強さや高さだけでなく、速さも持ち合わせている[16][17][18]。筋肉量や体脂肪率、LMI(筋肉指数)など全6項目で計る「体組成テスト」の数値ではU-22日本代表でトップである[19]。
人物[編集]
好きな選手にはカルレス・プジョルを挙げており、「(闘争心の出し方も)大好きです。自分は試合中に血を流すというのが自分の目標でもあるので、本当に凄いと思う。(プジョルは)ビビらないので、そういう気持ちを大切にしていきたいです」と語っている[20]。2016年時点で顔面を69針縫っていると語った[21]。また格闘技選手ではエメリヤーエンコ・ヒョードルを尊敬している[22]。
2016年度に起きた熊本地震の際には熊本出身で地元に強い思いもあり、小笠原満男らとともにシーズン中にも関わらずボランティアを行った[23]。
ももいろクローバーZの熱狂的なファンである[24]。
2017年に鹿島アントラーズ選手会の副会長に就任。かつての格闘技経験を買われ、罰金徴収係を任された[22]。
ドラえもんの映画でよく泣く[25]。
引用 : https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%8D%E7%94%B0%E7%9B%B4%E9%80%9A
植田 直通 画像 : https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E4%B8%8A%E7%94%B0%E7%9B%B4%E9%80%9A&aq=-1&ai=e7WQjzu8QcqqL0C0IrKlzA&ts=28728&ei=UTF-8
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