ハーフナー・マイク(オランダ語: Mike Havenaar, 1987年5月20日 - )は、広島県広島市出身のプロサッカー選手
ハーフナー・マイク(オランダ語: Mike Havenaar, 1987年5月20日 - )は、広島県広島市出身のプロサッカー選手。日本代表。ポジションはフォワード。ADOデン・ハーグ所属。
プロ入り前[編集]
オランダ出身の父ディド・ハーフナーが、マツダSC(現サンフレッチェ広島)でコーチ兼任選手としてプレーしている時期にハーフナー家2男1女の第二子として広島で出生。少年期は父の自主練習相手としてボールを蹴る。
コンサドーレ札幌U-15では西大伍とホットラインを形成し多くのゴールを奪った。中学生時に既に同学年で一番の高身長であったが、そこから短期間でさらに身長が伸びたためランニングフォームが成長に追い付かず苦しんだ。父の移籍に伴って横浜F・マリノスユースに移り、2006年にマリノスのトップチームに昇格した。同年にはU-18日本代表に招集され背番号9番のエースストライカーを任された。
Jリーグ時代[編集]
マリノスではレギュラーポジションを獲得することができず、U-20日本代表でも2007年のU-20ワールドカップでは森島康仁の控えに甘んじた。
2008年はアビスパ福岡に期限付き移籍[2]。ピエール・リトバルスキー監督の下で大久保哲哉と共に攻撃の中心としてFW・サイドMFで出場し、26試合で7得点を挙げた。翌2009年にマリノスへ復帰したが[3]、新加入の渡邉千真の活躍もあり5月にサガン鳥栖へレンタル移籍し[4]、同じくマリノスからレンタル移籍した山瀬幸宏と共に2トップを組んでゴールを量産し、シーズン15得点を上げチームに貢献した。
2009年シーズン終了後に複数のJ1、J2クラブから勧誘を受けた中でヴァンフォーレ甲府へ完全移籍。20得点を挙げてJ2得点王に輝き、エースストライカーとして甲府のJ1昇格に貢献した。
2011年シーズンも甲府に残留。リーグ戦では得点王となったジョシュア・ケネディの19得点に次ぐ日本人トップの17得点を挙げJリーグベストイレブンに選出された。クラブでの活躍を受けて、2011年8月に行われた日本代表合宿に初招集され[5][6]、9月2日のワールドカップアジア3次予選の北朝鮮戦(埼玉)でA代表初出場を果たした[1]。10月11日のタジキスタン戦(長居)では代表初ゴールを含む2得点を挙げ、チームの勝利に貢献した[1]。
フィテッセ[編集]
2011年12月21日に、オランダ1部・エールディヴィジのフィテッセに2年半契約で完全移籍した[7]。2012年1月27日のPSV戦でエールディヴィジでの初ゴールを挙げた。2012-13シーズンは、開幕から好調を維持し、エールディヴィジ所属の日本人選手では過去最多となる11得点を挙げる活躍を見せた。2013-14シーズンも2季連続で二桁得点を記録した[8]。
コルドバFC[編集]
2014年7月22日、スペイン・リーガ・エスパニョーラのコルドバCFへ2年契約で完全移籍[9]。2014年8月25日、リーグ戦開幕戦のレアル・マドリード戦に1トップで先発し、スペインデビューを飾った。10月に行われる日本代表のジャマイカ戦、ブラジル戦で代表復帰。リーガでは5試合に出場(4試合は先発)するも0ゴールに終わり、ミロスラヴ・ジュキッチ監督就任後は完全に構想外となり、12月30日にクラブから契約解消が発表された[10]。
HJKヘルシンキ[編集]
2015年3月2日、フィンランド・ヴェイッカウスリーガのHJKヘルシンキに加入した[11]。
3月6日に行われたフィンランド・リーグカップのFCラハティ戦で移籍後公式戦初出場を果たし、田中亜土夢のアシストから公式戦初得点を記録した[12]。
ADOデン・ハーグ[編集]
2015年8月11日、オランダ1部・エールディヴィジのADOデン・ハーグに3年契約で完全移籍した[13]。父ディドの古巣でもある。2016年3月17日、2018 FIFAワールドカップ・アジア予選のメンバーに約1年5カ月ぶりに代表選出された。5月8日、リーグ戦の最終節で今季16点目をあげて欧州主要一部での日本人最多得点記録を更新した。
2016-2017年、開幕戦のゴー・アヘッド・イーグルス戦では2得点をあげる活躍を見せた[14]。2017年4月15日、PSVアイントホーフェン戦では自身オランダ通算50得点目となる4試合連続の得点を決め、降格圏内から脱出を果たした。
私生活[編集]
父ハーフナー・ディドは名古屋グランパスエイトやジュビロ磐田で活躍した元Jリーガーである。ハーフナー親子はジーコとジュニオールに次いで史上2組目、日本人としては史上初の親子Jリーガーである。母ギッダもアスリートで陸上の7種競技でオランダチャンピオンになった経験がある。ハーフナー家2男1女の長男で、弟ハーフナー・ニッキはSVホルンに所属する。また、U-17日本代表にも選出されている[15]。1993年に一家で日本国籍を取得した[16]。FIFAのインタビューに対し、父とはサッカーについてよく話すが、自身のキャリアや移籍などの決断について父から特別な影響を受けたことはないと語っている[17]。
子供の頃は家庭ではオランダ語、インターナショナルスクールでは英語、日常生活とサッカーでは日本語を使用したためトライリンガルとなった。日本語が母語で[7]、頭で考える時は日本語を使う。
なお、戸籍上の本名が片仮名で登録されているため、名前の漢字表記は公式には存在しない。
2011年5月16日に一般女性と結婚し[18]、8月5日に第一子となる長女が誕生した[19]。
サポーターには自身を「マイクと呼んで欲しい」と呼びかけている。
引用 : https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%AF
ハーフナー・マイク 画像 : https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%AF&aq=0&oq=%E3%81%AF%E3%83%BC%E3%81%B5%E3%81%AA&at=s&ai=NEez5Lo2T0SYi5hmgqk3kA&ts=7395&ei=UTF-8
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