平田 良介(ひらた りょうすけ、1988年3月23日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(外野手)。
平田 良介(ひらた りょうすけ、1988年3月23日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(外野手)。
2016年よりチームキャプテンを務めている。
プロ入り前[編集]
小学1年から「関目ジュニアスター」で野球を始め、中学時代はボーイズリーグ「大阪北」を経て、「大阪都島」に所属。 萬谷康平(元横浜DeNAベイスターズ)とは、家が道を挟んで2軒隣の幼なじみで小学校1年生から中学校1年生までは同じ少年野球チームに所属していた[2]。
大阪桐蔭高校では1年夏から6番でレギュラー、秋から4番を任された。高校時代は辻内崇伸と同期で、辻内の話では、入学直後から練習参加を許されたのは1年生で唯一平田だけだったという[3]。平田が3年の時の1年生に中田翔と岡田雅利がいた。高校通算70本塁打を放つ。
2005年の夏の甲子園大会準々決勝・東北戦で、PL学園・清原和博以来の1試合3本塁打で球史にその名を刻んだ。甲子園通算5本塁打は史上4位。その後、延長戦の末敗れた準決勝の駒大苫小牧戦で最後のバッターとなった。
高校生ドラフトで中日ドラゴンズに1巡目指名される。
9月頃にアジアAAA選手権における韓国戦で右肩を亜脱臼したため手術する予定だったが、予想以上に右肩の状態が良化したのを受け回避する事が決まった。2006年1月9日に中日ドラゴンズ選手寮に入所。2006年シーズンはリハビリに励むこととなった。
プロ入り後[編集]
2006年、8月26日に初の一軍昇格を果たし、同日の横浜戦(ナゴヤドーム)の9回裏に英智に替わる代打でプロ初出場を果たすも、木塚敦志の前に三塁ゴロに倒れた。
2007年は、10月4日にプロ初スタメン出場。延長11回裏の満塁の場面で死球を受け、思わぬ形でプロ初打点を挙げる。10月6日の対ヤクルト戦で、プロ初安打を放つ。翌7日の対横浜戦では3安打を放ち、初の猛打賞を記録。終盤の活躍とセンターの堅実な守備が買われ、その年にセンターのスタメンが多かった英智の故障もありクライマックスシリーズにおいては全試合スタメンで起用される。日本シリーズでもホーム試合ではスタメン起用され、第3戦では安打を放ち、第5戦においては相手先発投手のダルビッシュ有から犠飛を打ち、この試合唯一の打点をあげた。なおこの試合に1-0で勝ち、この打点は日本一を決める決勝点となった。この犠飛はストレートを打ったのだが「スライダーを投げられていたら打てなかった」と後日、語っている。日本シリーズでの活躍が認められて12月の球団主催によるハワイへの優勝旅行にも参加する予定だったが出発前日の練習中に足を捻挫し、急遽参加を取りやめた。
引用 : https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E7%94%B0%E8%89%AF%E4%BB%8B
平田 良介 画像 : https://search.yahoo.co.jp/image/search;_ylt=A2RCL5hXvOFYYAcAOlCU3uV7;_ylu=X3oDMTBhcmNxcTgxBHZ0aWQDSVMwMDI-?p=%E5%B9%B3%E7%94%B0+%E8%89%AF%E4%BB%8B&aq=-1&oq=&ei=UTF-8
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