秋吉 久美子(あきよし くみこ、1954年7月29日[2][1] - )は、日本の女優。
秋吉 久美子(あきよし くみこ、1954年7月29日[2][1] - )は、日本の女優。静岡県富士宮市生まれ、徳島県日和佐町(現・美波町)、福島県いわき市育ち。本名は小野寺 久美子(おのでら くみこ)。身長162cm。最終学歴は早稲田大学大学院公共経営研究科専門職学位課程公共経営学専攻修了[2]。学位は公共経営修士(専門職)。アイエス・フィールド所属
アジア映画祭主演女優賞、日本アカデミー賞優秀主演女優賞、ブルーリボン賞主演女優賞などを受賞している。2013年「「わたし」の人生(みち)?我が命のタンゴ」でモナコ国際映画祭主演女優賞を受賞。そのほかは#受賞歴を参照。
北海道函館市の出身で研究者だった父親が戦後結核を患い、静岡県富士宮市の療養所に入り、地元出身の看護師だった母親と結婚し当地で生まれた[3][4]。その後、父が徳島県日和佐町(現・美波町)の高等学校に化学教師として赴任したため家族で移り住む[3]。しかし高温多湿の気候が体の弱い父には辛く、本人が小学校入学直前に福島県いわき市に移り、6歳から18歳までいわき市で暮らす[3]。父は小名浜の福島県水産試験場に勤務し、アクアマリンふくしまの立ち上げにも尽力した[3]。福島県いわき市小名浜第一中学校、福島県立磐城女子高等学校(現・福島県立磐城桜が丘高等学校)卒業[3]。高校時代は文芸部の部長をしていた。あちこちの雑誌やテレビなどでもらした言葉を集めた「つかのまの久美子」(1977年、青春出版社)ではユニークで鋭い感性が光っており、五木寛之も「静かな平凡を夢見る卓抜な個性」と帯に感想を書いている。
1972年高校三年生の時、受験勉強中に聞いたラジオの深夜放送、吉田拓郎の『パックインミュージック』で、吉田が音楽を担当した松竹映画『旅の重さ』のヒロイン募集を聞き、親に内緒でオーディションを受けたのが芸能界入りしたきっかけ[5][6][7][8][2]。
女優として[編集]
『旅の重さ』の主役オーディションで、高橋洋子についで次点となり、自殺する文学少女に扮して本名で映画初出演[5]。翌1973年、大学受験に失敗し、いわき市で予備校通いをしていたとき、感銘を受けたアングラ演劇、はみだし劇場の劇作家・内田栄一の夫人・内田ゆきに身柄をあずけ上京[5]。同年、斎藤耕一監督の『花心中』に一シーンだけ顔を出したのち、芸名を「秋吉久美子」として松本俊夫監督の『十六歳の戦争』に主演して本格的に映画デビュー[5]。しかしこの作品は難解だという理由で1976年まで公開されなかった。1974年、藤田敏八監督の青春映画『赤ちょうちん』、『妹』、『バージンブルース』(日活)に立て続けに主演し人気が急上昇した[9][2]。
1979年、青い三角定規のメンバーで作曲家の岩久茂と結婚。男児を産み、およそ2年ほど芸能活動を休止した[10]。復帰後、ソープ嬢を演じた『の・ようなもの』 [2](1981年)、冷めているが可愛げのあるヒロインに扮した『冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-』 (1981年)を始め、『さらば愛しき大地』 (1982年)、『夜汽車』 (1987年)、『異人たちとの夏』 (1988年)、『誘惑者』 (1989年)、『レッスン』 (1994年)、『深い河』 (1995年)などがある。2004年、『透光の樹』では、深遠な性愛シーンを披露した。
引用 : https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E5%90%89%E4%B9%85%E7%BE%8E%E5%AD%90
秋吉 久美子 画像 : https://search.yahoo.co.jp/image/search;_ylt=A2RivcOi79hYkzcApQmU3uV7;_ylu=X3oDMTBhcmNxcTgxBHZ0aWQDSVMwMDI-?p=%E7%A7%8B%E5%90%89+%E4%B9%85%E7%BE%8E%E5%AD%90&aq=-1&oq=&ei=UTF-8
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