壇 蜜(だん みつ)は、日本のタレント、女優、グラビアモデル。本名は齋藤 支靜加(さいとう しずか)。
壇 蜜(だん みつ、1980年12月3日 - )は、日本のタレント、女優、グラビアモデル。本名および旧芸名は齋藤 支靜加(さいとう しずか)[2]。
所属事務所はエクセルヒューマンエイジェンシーを経てフィットワン。
多彩な経歴のあとグラビアモデルとして活動を始める。トレードマークの長い黒髪と妖艶な雰囲気で注目され映画、テレビのバラエティ番組などに数多く出演。男性誌のグラビア以外にも女性誌でも人気を博している[3]。また日本舞踊坂東流師範でもある[1]。
芸名である“壇蜜”は仏教を基に自分で考えたもので「『壇』は仏壇を。『蜜』はお供え物を意味している」と述べている[3]。
ツアーコンダクターの父親と保育士の母親を持つ。 母親の実家がある秋田県横手市で生まれ、幼少の頃に東京に移住[3]。 受験を経て昭和女子大学附属昭和小学校に入学し、以後内部進学で中学高校を経て昭和女子大学に進む[4]。 小学生の頃に読んだ『ゴルゴ13』をきっかけに、性的な事柄に興味を持ち始める[5]。中学生の頃には大人びた女性である事から同級生に「愛人」と呼ばれていた[5]。
昭和女子大学で[6]英語科の教員免許を取得[7]した後、専門学校で調理師免許を取得。和菓子工場[3]、銀座のクラブでホステス[8][9]、また知人[注 1]の死をきっかけに冠婚葬祭の専門学校「日本ヒューマンセレモニー専門学校」[3][7][10]へ通学し、遺体衛生保全士資格(民間資格)を取得、と様々な経歴を持つ。葬儀場で働いた経験もあり、芸名にもからんでいる。面接では「白いワイシャツに黒いブラジャーを透けさせたら受かった」と語っている。
2009年9月、専門学校在籍中の28歳の時にゲーム『龍が如く4 伝説を継ぐもの』のオーディションを受け、キャバ嬢役で出演[8]。
2010年3月、『週刊SPA!』の一般公募型グラビア企画「美女タレント発掘プロジェクト どるばこ」に、余っていたプロフィール写真を送付して[11]、グラビアデビュー[12]。
2010年7月、当初は芸能活動は考えていなかったが、芸能事務所にスカウトされたことと[12]、撮られるということに悦びを感じたことで、グラビアアイドルになることを決意[10]。芸名も「壇蜜」に変更[13]。
デビュー後はグラビアアイドルとして活動。2012年以降、多数のテレビ番組に出演[3]。バイセクシャルの公言[7]や、「脱ぐことは天命」[3]など、エロチシズムを感じさせるトークや独特な表現で認知度を増している。
2012年12月、第15回みうらじゅん賞受賞。
2013年4月、事務所をフィットワンに移籍[14]。
人物
『週刊少年マガジン』におけるインタビュー
「付き合うなら告白する方とされる方のどちらがいいか?」と聞かれて「(告白というイベントを重視しないという理由で)どちらもいらない」とのことで、近くにいて次第に相思相愛になっていくというのが理想。
「マガジンの作品の中で付き合ってもいい男性キャラ」は『ベイビーステップ』の丸尾栄一郎と答え、理由は「運動能力の皆無から様々な努力の末にプロテニスプレイヤーの道を切り開いた」、自分にない部分に惹かれると述べている。
漫画に関しては気に入ったものを単行本で買う程度だが、『マガジン』は雑誌でも買って読んでいたという。好きな漫画は宮島礼吏の漫画『AKB49』で、その作者の宮島が「野球漫画などのスポ魂ものを描きたかった」というインタビュー記事を読んだことで、その作品が「スポ魂テイスト」である理由を知った[15]。
引用 : https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%87%E8%9C%9C
壇 蜜 画像 : https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E5%A3%87%E8%9C%9C&aq=0&oq=%E3%81%A0%E3%82%93%E3%81%BF%E3%81%A4&at=s&ai=domImmRTQxSPldO2s0OlLA&ts=7099&ei=UTF-8
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