ピアース・ブレンダン・ブロスナンは、アイルランド出身の俳優、映画プロデューサーである
ピアース・ブレンダン・ブロスナン(Pierce Brendan Brosnan OBE, 1953年5月16日 - )は、アイルランド出身の俳優、映画プロデューサーである。身長187cm。
アイルランド共和国ミーズ州のナヴァンで生まれ、10代でイギリスに渡った。1982年から1987年までアメリカのNBCで放映されたテレビドラマ『探偵レミントン・スティール』で主役を演じ、有名俳優になった[1]。
1995年に007シリーズ第17作『007 ゴールデンアイ』にジェームズ・ボンド役で主演した。1997年の『007 トゥモロー・ネバー・ダイ』では、サターン賞主演男優賞を受賞した。同年、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームにおいて星(星形のプレート)を獲得した[2]。
2003年7月、英国への優れた貢献を認められ、エリザベス2世から名誉大英勲章第4位を与えられる[3]。ブロスナンはアイルランド国民なので、英国民にだけ与えられる「full honour」を受ける資格はない[4]。
日本では『ゴールデンアイ』でボンドを演じる以前に、ボンド風のキャラクターでたばこ「LARK」のCMに出演していたことでも知られる。LARKのCMにはブロスナンより前に先代のロジャー・ムーアやティモシー・ダルトン等も出演していた。この他1996年から1998年までエルセラーン化粧品のCMにも出演したり、また金融業のニッシンのイメージキャラクターとして登場したりしたこともある。
2008年の映画『マンマ・ミーア!』では、ゴールデンラズベリー賞に選ばれた。
5代目ジェームズ・ボンド[ソースを編集]
3代目ボンドのロジャー・ムーアがボンド役を引退したあとの1986年に、主演ドラマ『探偵レミントン・スティール』を終えたばかりだったブロスナンはボンド役のオファーを受ける。このドラマは視聴率低下で打ち切られるが、イオンがブロスナンに関心を持っていることが分かると、放映局のNBCはブロスナンとの契約オプションを行使する荒業に出る。『探偵レミントン』にテコ入れをしての再開が決まり、ボンド役を辞退しなければならなかった[5]。彼は当時33歳だった。ブロスナンをボンド役としてプロデューサーのアルバート・ブロッコリに推薦したのは、当時の妻のカサンドラ・ハリスだった[6]。ブロッコリはブロスナンがボンド映画前後に、ドラマ長編エピソードを数本撮影できる契約を取り付けようとするが、NBCと制作会社のMTM Enterprisesは拒否し、自身の条件を提示した。ここでブロッコリはブロスナン起用を諦め、ボンド役はティモシー・ダルトンに決まった。ダルトン主演で2つの作品が作られたが、2作目の『007 消されたライセンス』は、批評家からの高い評価にもかかわらず、興行的には期待外れの結果に終わった。1991年に007シリーズの著作権を巡って法的な争いとなり、次作の製作は6年間中断し、その間にダルトンは6年契約が終了した。1994年4月12日、ダルトンはボンド役の降板を発表し、イオンも受諾した。そしてブロスナンが1994年6月7日にボンド役を手に入れる[7]。最初にオファーされてから15年後のことである。
1989年公開の『消されたライセンス』が興行的に失敗し、007シリーズの興行成績は一時衰えていた。しかし、ブロスナンが『ゴールデンアイ』でその人気を復活させ、批評的にも興行的にも成功、その後のシリーズの新たな道を開いた。
ブロスナンのボンド像で特筆に値する点は、ショーン・コネリーのタフかつワイルドなキャラクター、ロジャー・ムーアのエレガントかつユーモラスなキャラクター双方をバランスよく体現し、そこによりスマートさを加えて独自のボンド像を構築した点であろう。また、アクションシーンの体のキレの良さは歴代随一で、歴代 (1994年当時) のボンド俳優と共演したことのあるQ役のデスモンド・リュウェリンをして「ショーン・コネリー以来、最高のボンド」と絶賛した。また、作品自体も監督が毎回替わることで、シリーズ作品の宿命であるマンネリズムを回避した。2011年に全米誌で行われた歴代ボンド役の人気投票では初代のコネリーに次ぐ2位となった。
ブロスナンは、ジェームズ・ボンドを演じ続けることでイメージが固定してしまう危険に気付いており、ボンド役を引き受けたときに『007』シリーズに出る合間に他の映画にも出演する許可を製作会社イーオン・プロダクションに求めた。このため、『007』シリーズ以外のいろいろな映画に参加している(プロデュース作品も含む)。これらの作品で最も成功したのは『トーマス・クラウン・アフェアー』だった。
『ダイ・アナザー・デイ』出演後もボンド役を続けることを切望していたが[8][9][10][11]、交渉で行き詰まり、2004年7月に自ら降板を申し出、MGMは慰留したが最後には同意し、[12][13]ダニエル・クレイグが6代目ボンドに起用された。初代のコネリーに次ぐ人気を博したが、出演したシリーズ作品は4作と、歴代で3番目に少ない[14]。
映画以外にも『マペット放送局』に本人役でゲスト出演し、マペットキャラを相手に乱闘めいた寸劇を繰り広げるなどしてコミカルな一面を披露したことがあった。
引用 : https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%8A%E3%83%B3
ピアース・ブレンダン・ブロスナン 画像 : https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%8A%E3%83%B3&aq=0&oq=%E3%81%B4%E3%81%82%E3%83%BC%E3%81%99&at=s&ai=tBn08EVdQCumwWG4GFLlmA&ts=7341&ei=UTF-8
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