髙橋 真梨子(たかはし まりこ、1949年3月6日 )は、日本の歌手、作詞家。
髙橋 真梨子(たかはし まりこ、1949年3月6日 - )は、日本の歌手、作詞家。旧芸名、高橋 まり。本名、広瀬 まり子(ひろせ まりこ)旧姓、髙橋。
広島県廿日市市出身、福岡県福岡市育ち[1][2][3]。うお座。駒沢学園女子高等学校卒業。夫はミュージシャンのヘンリー広瀬。スポーツ観戦を趣味とする。所属レコード会社はビクターエンタテインメント。所属事務所はザ・ミュージックス[4]。
幼少期[編集]
父・森岡月夫は広島鉄道局、母・髙橋千鶴子は広島市内の銀行に、それぞれ勤務時の1945年8月6日、米軍の原子爆弾投下により被爆[2][5][6]。戦後、国鉄を辞めてプロのジャズクラリネット奏者を目指した父は、朝鮮戦争下で米軍基地が多くジャズが盛んであった福岡に移り、まもなく当時1歳だった真梨子も母に連れられて博多に転居した。[2][5][7][8]。5歳の時に両親は別居、真梨子は母と博多に残る[2][5]。小学校3年10歳の時に父母の離婚成立で、母親の「髙橋」姓となる[2]。真梨子はこの時不倫をした母が許せず長い間に渡って恨み続けた。中高生時代には母が自分に触れることすら許せなかったという。父は広島に戻り、広島市内のクラブでジャズプレイヤーとして働いたが[2][8]、入市被爆が原因で長らく後遺症に苦しんだのち37歳で亡くなった[1][2][5][7]。この時も母は真梨子に泣きながら抱きついたらしいがそれをも振り切ったという。そして福岡市立高宮中学校を卒業。
音楽を目指した父の影響を受け芸能界に憧れ、自らもジャズボーカルの勉強を始める[2]。16歳になるとプロ歌手を目指して九州女子高等学校(現・福岡大学附属若葉高等学校)より駒沢学園女子高等学校へ転入のため上京[8]。渡辺プロのもとで本格的なレッスンを受けた後、1966年に「スクールメイツ」の一員として芸能界デビュー[2]。しかし自身の求めているアーティスト路線でなかったこともあり、高校を卒業すると渡辺プロを脱退し、博多に戻りディスコやクラブでの活動を始めた[2][8]。
歌手活動歴[編集]
ペドロ&カプリシャス・二代目ボーカルでデビュー[編集]
1972年に「ペドロ&カプリシャス」のペドロ梅村にスカウトされる。同年に「別れの朝」が大ヒットしながらも突如離脱した先代・前野曜子に次ぐ、二代目ボーカルとして参加[2]。
翌1973年には「ジョニィへの伝言」「五番街のマリーへ」などがロングヒット。翌1974年末の「第25回NHK紅白歌合戦」では「ジョニィへの伝言」で初出場を果たした。
ソロ歌手としてデビュー[編集]
1978年に「ペドロ&カプリシャス」を脱退、「髙橋真梨子」としてソロ歌手として活動を始める。同年11月、「あなたの空を翔びたい」でデビュー。
1982年にシングル発売の「for you…」は「第11回東京音楽祭」にて金賞を獲得、のち多数のアーティストにカバーされる名曲となった。以降も1984年の「桃色吐息」、1992年の「はがゆい唇」、1994年の「遙かな人へ」など数々のヒット曲を披露、また高橋自ら作詞を手掛けたりするなど、「実力派女性歌手」としての地位を確立した。
1993年8月5日「ペドロ&カプリシャス」時代のメンバーであったヘンリー広瀬と結婚。年1回のペースでアルバムを制作・発表し、それに伴うコンサートツアーを行っている。コンサート活動は50回を越え、米カーネギー・ホールや英ロイヤル・アルバート・ホールなど海外での舞台実績もあり、現地在留邦人の支持も高い。
中高年(特に同年代の女性)層で人気の高い、1996年にシングル発売の「ごめんね…」は日本テレビ系列『火曜サスペンス劇場』の主題歌として、同番組のターゲットである主婦層から多数の支持を得る。なお同番組の主題歌としては、1982年の「聖母たちのララバイ(岩崎宏美)」に次ぐ売上を記録し、カラオケ・チャートでも40-50代女性の中で1位とした。また清酒「白鶴」のCMソングに起用され、本人も同商品のCMに出演。さらに、中高年向け高級化粧品「グレイスソフィーナ」のイメージキャラクターにも選出された。
NHK「紅白歌合戦」・「SONG」など各テレビ出演[編集]
かつて高橋が「ペドロ&カプリシャス」からの独立当初は、コンサート・レコーディングなどの音楽活動を重視しており、テレビ等のメディア出演は自制していた。年末恒例の『NHK紅白歌合戦』の出演依頼に対しても「大晦日にスケジュールを拘束されたくない」という理由で辞退したこともあったが、「桃色吐息」がヒットした1984年の『第35回NHK紅白歌合戦』にはソロ歌手として初出場を果たした(なお「ペドロ&カプリシャス」時代も含めると、高橋自身紅白出場は10年ぶり2回目である)。風邪をおしてのソロ初出場だったがリハーサルの合間に激しく咳込んでいたことを北島三郎にプロ意識が足りない、と批判されたことが、次回出場までの30年ものブランクの一因とされる。
2013年末の『第64回NHK紅白歌合戦』は、ソロ歌手として29年ぶり2回目の出場を果たす。自身初めての紅組トリを務め、圧巻のステージをみせた[2]。それから2年後、2015年末の『第66回NHK紅白歌合戦』はソロ歌手で2年ぶり3回目の出場、紅組トリ前で「五番街のマリーへ」を歌唱。
さらに翌2016年末の『第67回NHK紅白歌合戦』もソロで2年連続4回目の出場となり、自身最大のヒット曲である「ごめんね…」を披露。尚、当時高橋の年齢は67歳9か月だったが、これはNHK紅白歌合戦において紅組の出場歌手としては最年長記録となった(其れ迄の記録は、2004年末の『第55回NHK紅白歌合戦』で島倉千代子が、当時66歳9か月の年齢で出場)。
NHK・深夜放映の音楽番組『SONGS』には、2017年現在高橋が最多出場回数を誇っている。通算11回目の同番組出演となった2015年4月25日の放送では「高橋真梨子 オールタイムリクエスト」と銘打ち、視聴者からのリクエストを募って、リクエストの多かった上位4曲(実際は5曲。4位「桃色吐息」、3位「五番街のマリーへ」。ペドロ&カプリシャス時代の曲で「ジョニィへの伝言」とメドレー形式で披露、2位「ごめんね…」、1位「for you…」[9])。
他近年では、バラエティ番組・トーク番組などにも度々登場。その際高橋の少女時代に実父の早過ぎた他界や実母との確執、ペドロ&カプリシャス・二代目ボーカル時代、ソロ歌手デビュー当時の話等を自ら語っている。
引用 : https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E7%9C%9F%E6%A2%A8%E5%AD%90
髙橋 真梨子 画像 : https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E9%AB%98%E6%A9%8B%E7%9C%9F%E6%A2%A8%E5%AD%90&aq=4&oq=%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%AF%E3%81%97&at=s&ai=RGqZo5XTSgqwBXza5CH3mA&ts=6335&ei=UTF-8
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