湯の川温泉(ゆのかわおんせん)は、北海道函館市にある温泉。「名湯百選」選定。
湯の川温泉(ゆのかわおんせん)は、北海道函館市にある温泉。「名湯百選」選定。
泉質[編集]
ナトリウム・カルシウム-塩化物泉
温泉街[編集]
函館の市街地に温泉街がある。函館空港までは車で約5分のアクセスになっており、五稜郭や函館駅への交通機関も充実している。湯倉神社の境内下には「湯の川温泉発祥の地碑」があり[3]、足湯は湯の川温泉停留場近くの「湯巡り舞台」と函館市熱帯植物園にある[4][5][6]。湯川黒松林は1889年(明治22年)から金森洋物店創業者の渡辺熊四郎が私財を投じて造林した北海道内で最初の防風林・防砂林であり、約900本のクロマツがある[7]。毎年、お盆明けに『湯の川温泉花火大会』を開催している[8]。
歴史[編集]
湯の川の語源は、アイヌ語の「ユ(湯)+ペツ(川)」に由来しているというのが定説である[1]。1453年(享徳2年)には湧き湯を見つけた木こりが負傷した際に腕の痛みを湯治して癒していたという[1]。 後に薬師如来を作り、小さな祠を建てて祀ったことが湯川村薬師堂(現在の湯倉神社)の発祥と言われている[1]。1653年(承応2年)、後に松前藩の藩主となる松前千勝丸(松前高広)の難病治療のために母親の清涼院が千勝丸を湯治させた[1]。まもなく千勝丸は全快し、翌年にお礼として湯川村薬師堂に知内産の黄金で作った薬師尊像と鰐口を奉納したことが湯の川温泉の発祥と言われている[1][9]。なお、鰐口は湯倉神社に現存しており「奉掛薬師堂松前千勝丸敬白甲午承応参年正月吉祥日」、裏に「国次作」と刻まれている[9]。
松浦武四郎の『蝦夷日誌』にも療養目的の湯治向けの温泉として記しており[10]、箱館戦争の時には旧幕府軍の負傷兵が療養していた[1]。1885年(明治18年)、福井県出身の石川藤助が温泉場付近で採掘を行って高温で湯量豊富な温泉を掘り当てると、翌年に義父石川喜八が新湯元を名乗り温泉開業広告「湯の川村温泉開浴広告」を新聞に載せた[10]。以後、温泉の採掘が行われるようになり温泉旅館や温泉別荘などが造られた[10]。1887年(明治20年)に現在の電車通が開通した[1]。1898年(明治31年)になると函館馬車鉄道が湯川線の営業を開始したことにより、湯の川温泉は保養地になった[10]。1913年(大正2年)に馬車鉄道が電化されて函館の中心部と湯の川温泉が30分で結ばれ[10]、1918年(大正7年)に函館と湯川と結ぶバス路線が日本国内初となる自動車専用道路として開通し、温泉街はさらに発展していった[11][12]。当時は、「湯の川八景」と呼ばれるほどの景勝地として親しまれ、北洋漁業の発展とともに歓楽街としても賑わい「函館の奥座敷」と言われていた[1]。
温泉はかつて自噴していたが、現在は源泉水位の低下などにより動力によって温泉を汲み上げている[13]。1976年(昭和51年)に北海道の「温泉保護地域」に指定されて新規の温泉掘削が制限されているが、資源の枯渇が懸念されている[13]。函館市は1998年(平成10年)に「函館市温泉供給条例」を改正して揚湯量を縮減したほか[14]、2010年(平成22年)に「函館市温泉資源保護指針」を策定するなど対策に取り組んでいる[13][15]。
引用 : https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%AF%E3%81%AE%E5%B7%9D%E6%B8%A9%E6%B3%89_(%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93)
湯の川温泉 画像 : https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E6%B9%AF%E3%81%AE%E5%B7%9D%E6%B8%A9%E6%B3%89&search.x=1&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=1&oq=%E3%82%86%E3%81%AE&at=s&ai=pVVeLxYeSbGYT.dDd9BL9A&ts=6626&fr=top_ga1_sa
- 関連記事
-
- 野沢 和香(のざわ わか、1977年[1]2月5日[2] - )は、日本のモデル、女優。
- 小林 誠司は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(捕手)。
- 湯の川温泉(ゆのかわおんせん)は、北海道函館市にある温泉。「名湯百選」選定。
- 城崎温泉(きのさきおんせん)は、兵庫県豊岡市城崎町にある温泉。
- 田中 裕二は、日本の漫才師、お笑いタレント、随筆家、俳優。妻はタレントの山口もえ。




