あのねのねは、主に1970年代中期から1980年代初頭にかけて一世を風靡した。
あのねのねは、日本のフォークデュオである。主に1970年代中期から1980年代初頭にかけて一世を風靡した。
京都産業大学の学生だった清水國明と原田伸郎により結成される。フォークソングムーブメント末期の1973年、『赤とんぼの唄』でメジャーデビューした。
結成当初は4~6人編成で、うち2人は笑福亭鶴瓶とその後鶴瓶の妻になる女性である。
「赤とんぼの唄」「魚屋のオッサンの唄」などのコミックソングの印象が強く、また、ライブではコミカルなトークも人気を博した。一方で「雪が降っています」などのスローナンバーも残している。
「つくばねの唄」は、落語『欣弥め』を下地にしているが、サビの歌詞がかなり卑猥であるため“放送禁止用語の歌”といわれた。その英語バージョンの“THE SAMURAI”もある。
「そのねのね」という変名でシングル「愛の調べ」とアルバム「そのねのね ファースト・ラスト・アルバム」をリリースしたこともある。こちらはすぎやまこういちらによるシリアス路線だった。
1975年には学業に専念するためライブメインの活動を休止。直前に東京・蔵前国技館(当時)で千秋楽コンサートを行った。
ライブ活動は休止したものの、河島英五の手による「青春旅情」を同年リリースし、「ヤンヤン歌うスタジオ」や「ものまね王座決定戦」などのバラエティ番組へ出演し人気を博す。
その後、音楽のほうもナッシュビル録音のアルバムをリリースするなどして活動を再開。「ネコ・ニャンニャンニャン」「みかんの心ぼし」 (両曲はテクノ歌謡調)等のヒットを飛ばす。
現在は個々の活動が中心で、コンビとしての活動はとくに行っていないが、2人がテレビやラジオで共演する機会は多く、1998年に「オールナイトニッポンDX」の企画で日本武道館内の会議室でライブを実施した (実際は武道館内で行う予定だったが、リスナーからの募金で使用料を集めたため、予算内に借りられる会議室でのライブとなった)。2001年に新作シングル「この場所で光を」「愛メール」、オリジナルアルバム「II」、セルフカバーアルバム「せるふかばあ-ANONENONE BEST-」をリリースした。2003年には「結成30周年記念ライブ」を行っている。
2011年には「TBC夏まつり」でライブを再開した。
清水・原田の両夫妻が合同離婚を発表し、世間を騒がせたこともある。実際には離婚ではなく、冗談半分の企画だったが、当時の女性誌等からバッシングに遭った。
引用 : https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%AE%E3%81%AD%E3%81%AE%E3%81%AD
あのねのね 画像 : https://search.yahoo.co.jp/image/search?ei=UTF-8&p=%E3%81%82%E3%81%AE%E3%81%AD%E3%81%AE%E3%81%AD
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