松井 裕樹、名前の裕樹は、「松」の「樹」に豊か(「裕」)に葉っぱがつくようにという由来による。
松井 裕樹(まつい ゆうき、1995年10月30日 - )は、神奈川県横浜市青葉区出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。現在は東北楽天ゴールデンイーグルスに所属。
プロ入り前[編集]
名前の裕樹は、「松」の「樹」に豊か(「裕」)に葉っぱがつくようにという由来による[2]。小学校2年生から野球を始め「元石川サンダーボルト」に所属、6年生の時にファンであった横浜ベイスターズジュニアで12球団ジュニアトーナメントに出場した[2]。中学時代は「青葉緑東シニア」に所属し、3年時に全国大会で優勝を果たした[2][3]。
山内中学校より桐光学園高校へ進学し、1年秋からエースを務める。1年の冬には走り込みと投げ込みで下半身強化に取り組んだ[3]。2年夏の神奈川大会準々決勝では前年まで3季連続優勝の横浜高校から11奪三振を奪い[4]、決勝戦では桐蔭学園から15三振を奪い、チームは5年ぶりに甲子園出場を決めた[5]。
第94回全国高等学校野球選手権大会1回戦の対今治西高校戦では大会史上最多の10連続奪三振と1試合22奪三振を記録[6][7][8]。ウイニングボールは、記録翌日の8月10日から甲子園歴史館に展示されることとなった[9]。2回戦の常総学院戦でも19奪三振をあげて2試合で41奪三振、これまで板東英二が持っていた2試合計での最多奪三振記録を更新した[2]。2試合連続の毎回奪三振は、2000年の選手権大会で坂元弥太郎が記録して以来、史上5度目のことであった[10]。3回戦の対浦添商業高校戦では相手は打席で投手よりに立ち、ソフトボールのようなノーステップ打法を取り入れてきたことから[11]3回二死まで三振がなく1回戦から続いた毎回奪三振は途切れたが[12]、8回から6連続三振に取るなどで最終的に12奪三振を記録[13]。前日にスーパー銭湯での温冷交代浴や、酸素カプセルの使用、マッサージなどを行い臨んだ[14]準々決勝の対光星学院戦でも15奪三振を奪ったが、両チーム無失点で迎えた8回に田村龍弘と北條史也に連打され3失点し敗退する[15]。大会通算成績は36イニングを投げ防御率2.25、奪三振率17.00。1大会通算68奪三振は夏の甲子園では歴代3位の記録であり[16]、左腕投手としては2005年に辻内崇伸が記録した65奪三振を更新し1大会での史上最多記録となった[17]。
秋の神奈川大会では準々決勝の対平塚学園戦で9回を2安打2失点12奪三振を記録するも敗退し[18]、翌年の選抜大会出場は逃す。プロ野球の複数球団から翌年のドラフト1巡目指名候補に挙げられたが、2年時1月に行われた公開練習の記者会見で進路については未定と答えた[19]。2年冬は走り込みやウエイトトレーニングを増やし[20]下半身の強化に取り組む[21]。3年春にはスライダーを使用しない投球[22]やチェンジアップの精度向上にも取り組み[23]、7月には浦和学院との練習試合で9回を1安打無失点、18奪三振、無四球の快投を見せる[23]。
引用 : https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E4%BA%95%E8%A3%95%E6%A8%B9
松井 裕樹 画像 : https://search.yahoo.co.jp/image/search;_ylt=A2RivcEIuOBYEEwABQOU3uV7;_ylu=X3oDMTBhcmNxcTgxBHZ0aWQDSVMwMDI-?p=%E6%9D%BE%E4%BA%95+%E8%A3%95%E6%A8%B9&aq=-1&oq=&ei=UTF-8
- 関連記事
-
- 飯田 基祐は、太田プロダクション所属。明星大学中退。1998年まで劇団方南ぐみに参加。
- 則本 昂大、プロ野球滋賀県人会副会長を務めている。甲子園の出場経験は無し。
- 松井 裕樹、名前の裕樹は、「松」の「樹」に豊か(「裕」)に葉っぱがつくようにという由来による。
- 柏木 陽介は、ポジションはミッドフィールダー。妻はTBSアナウンサーの佐藤渚。
- 長谷部 誠は、ブンデスリーガ・アイントラハト・フランクフルト所属。サッカー日本代表。




